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復帰までのあゆみを綴ってみた

病休中に訪れた転機

 病気休暇で現場を離れることで、教職という仕事に関するものを日常から排除し、精神面の回復を第一に考えて過ごしていました。薬を服用し、睡眠も十分に取れるようになり、安定した頃にふと頭に浮かんだのは、職場のこと。やはり、私の中には教育に携わりたいという気持ちが強くあるのだなと感じた瞬間でした。 

 Twitterを久しぶりに開き、アカウントの整理をしていると、教職員アカウントで多くの方がツイートされていることを目にしました。個人情報の漏洩なとが心配で、ほとんど仕事のツイートはしたことなかったので、ちょっと意外でした。たくさんのツイートを拝見させていただいて、いろんな方々と繋がることができました。そんな繋がりを広げていたとき、私は"私自身、これからどう在りたいのか"を意識するようになりました。

 これまでに自分なりにがむしゃらに働いてきました。仕事をお願いされたら、持てる力を駆使してこなして来ました。しかし、私は”なんのために”そこまでしてやって来たのでしょうか。それが分からなくなりました。私が教師という仕事をしている本質というか、その根元にある思いはなんなのか。その部分を振り返るきっかけをTwitter職員室の方々からいただけた気がしました。


離れることで見えてくるもの

精神面が落ち着き、仕事のことを考えることができるようになってから、毎日のように、私の根元にあるもの、何のために教師をしているのかについて考えました。私がこれまでに学級経営で大切にしてきたもの、授業で大切にしてきたもの、子どもとの関わりで大切にしてきたものは何かを書き出していったのです。意外と答えは早く見つかるものですね。そこにあったのは、

「子どもたちの多様性と可能性を信じて、自分の力で育っていってほしい。」

 色んな方がおっしゃていることですが、偶然同じ年代に生まれたもの同士で、偶然集まったクラスの子達。家庭環境も違う。見るもの聞くもの全てが異なるもの同士、同じように生きるなんてことは現実的でない。”みんな同じように”というフレームを強調することで、”生きにくさ”を感じる子どもが出てきてしまう。そんなこと、私は望まないし、もちろん保護者の方々も望まないでしょう。
 幸いなことに現場を離れることで、せめて私が関わる子どもたちには、「自分はみんなと違うけれど、こんな良さがある。可能性はゼロじゃないんだ」と思って過ごすことができるように、これまで十年間教師として働いてきたんだと気付くことができました。

 それからは、これからの自分の在り方(どのように生きたいのか)やどのようにこれから教員としてマインドを設定していくのかを模索していきました。
そして行き着いた二つの答え。

①自分が考えたことや実践したことなどを発信しながら、職場だけでなく職場以外にも繋がりを持つ、世界を広げていける人になる。

②Diversity(多様性)を尊重し、お互いがお互いの強さや弱さを受け入れ、補い合いながらゴールを目指すことができるクラスをつくる

この2つの答えが今の私を支えています。
さらに、Twitterで繋がることができた方々に感化され、背中を押してもらい、行動に移すこともできました。このnoteもその一つです。朝活も始め、とても充実した日々を送ることもできています。
学校という職場を離れることで、私は私を取り戻し、さらに意識をブラッシュアップすることができました。日々の仕事に忙殺されていた以前の私から想像できません。


最後に

病休に入るにあたり、周りの教職員の方々に多大な迷惑をかけてしまったことは非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ、そのおかげでこれからまた現場で子どもたちのために、自分のために、そして学校のために力を発揮していくことができそうです。感謝しかありません。
また頑張っていきます‼️

長文失礼しました。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました😊

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