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展覧会レポ【石川九楊大全後期】@上野の森美術館

石川九楊大全後期に行ってきました。刺激的かつ、書について考えるきっかけになる展覧会でした。今回の記事では、展覧会をとおして感じたことをまとめていきます。


▶何が書かれているのかはわからない

作品をパッと見ただけでは、何が書かれているかわかりません。絵のような、文字のような、記号のようなものが複雑に絡み合っています…。ただ断片的に分かる部分も存在します。そこを読めたところで全体を解読できるわけではありません。「読まれることを前提としない書」が眼前に広がります。鑑賞者が読むことを無視し、石川氏自身が「書かねばならぬことを書く」という信念のもと、書かれたものだということを感じさせます。


▶道具についての関心

今回の展覧会で石川氏は何を伝えたかったのか、または伝える何かを持っていたのか、少なくとも鑑賞者である私にとっては想像することが困難でした。石川氏の作品は「従来の書の型のようなものを脱ぎ去った書」であり、あらゆる観点から書を分析、発表している石川氏からは想像できないものでした。

なぜなら、私の中で、石川氏は書を多角的に分析・解体し、書のおける要素を吟味した上で、現在の書道業界をあっと言わせる作品を制作しているものだとばかり思っていたからです。石川氏の書作品の分析は難解ではあるものの、納得できる部分も多く、きっと作品においても私を納得させてくれるに違いないと思っていました。しかし、私のイメージとはかけ離れた作品ばかりでした。

書は線の芸術である
書は道具の芸術である
書は文学である
書は人なり
書は造形の美である

石川氏は、あらゆる著作の中で、書とはどういうものかを示し、私たち書家にも影響をもたらしてきました。そして書がどういうものであるのか、という疑問において拠り所になりそうな見方・考え方を提唱されてきました。現代において、書をマクロ的視点で見ることができる人材は稀有な存在だと思っています。

しかし、今回の展覧会において、石川氏の道具への関心がどのようなものだったのかはいささか疑問です。紙、墨については顕著で、紙の演出や墨色の豊かさを感じさせるものはありませんでした。もちろん、これは私の感想であって、そもそも石川氏が道具について考えて作品を制作してたかは不明ですし、そこに執着することが、石川氏の書の全体を否定することには繋がりません。一人の鑑賞者としての感想・戯言だと思っていただければ幸いです。


▶石川氏の書の位置づけ

「書への疑問」を常に持っている石川氏ですが、その疑問は不信へと変わり、現代の書からも、近代以前の書からも離れ、ひたすらに「筆蝕(ひっしょく)」の世界へ突き進んでいるように思います。
題材も「書かねばならぬこと」を最優先し、鑑賞者と作品の対話を拒むような(これは私の主観ですが)一方的な発信をしているように感じます。今回の展覧会は「大全」ですので、石川氏の軌跡を一望することができるわけですが、その内へ内へ入ってゆく(=石川氏が自身の内省をひたすら深めてゆく)傾向は鑑賞者を置き去りにしているのではないか、と思ってしまいます。(もちろん、これが芸術としてのあるべき姿とは言いません。個が埋没しないことも重要だと思います。)
更に、今回の展示は数も多く、所狭しと作品が飾られていました。後日、知人と話した時に、「作品と鑑賞者が対話できる場が設けられていたか」という話題になったのですが、確かに、今回の展示では作品を味わうための場が設定されていなかったかもしれない、というのが本音です。私は当初その原因を作品自体に求めていましたが、作品が展示されている環境にも左右されていることを思い出させてくれました。


▶石川氏の書の分析と作品の乖離

これまでに石川氏は多くの書籍を出し、書の解明や書の現代的位置づけに注力されてきました。石川氏の書の分析は細かく、中国書史から日本書史まで広範囲を網羅し、多くの書家に新たな視点をもたらしてくれました。しかし、そのような現代における書の知の巨人だからこそ、今回の展覧会の作品は衝撃的でした。今までの石川氏の分析と今回の作品とが、どう結びついているのか私にはさっぱりわからなかったからです。
石川氏の作品は戦争や死をはじめ、大きなテーマを持っていると思われます。また、現代に生きる者として、書を現代アートの位置づけるために試行錯誤されているのかもしれません。(実際、石川氏は2024年3月26日から30日に行われた、世界最大級のアートフェアとして知られる「アートバーゼル香港」で大きな注目を浴びています。)現代アートの軸は鑑賞者の脳の活性化にあると言えます。一目見ただけでは全く理解できない。鑑賞者自身が意味を見出し、作品に価値を付与するような頭を使う芸術だといえます。デュシャンの「泉」に代表されるように、そこに隠されたなにかを考えることが重要だとも言えます。そう考えると、私がこのように石川氏の作品展に言及している時点で、石川氏の作品は現代アートとして、十分に役割を果たしているのかもしれません。


▶最後に

今回は、「石川九楊大全後期」についてレポートしました。石川氏の作品をとおして感じたことや疑問は書の未来に繋がっていくものです。評価は後世の書家たちに任せることにして、私自身は書の芸術性の探究にこれからも勤しんでいきます。

書の世界は複雑で、さまざまな分野につながっています。
‐書の奥深さ、すべての人に‐
&書【andsyo】でした。







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