料理は義務じゃなくて娯楽

私は料理が嫌いじゃない。すごく好きかと言われれば、そこまでではないが栗買ってきて栗ご飯作ったり、らっきょを漬けたり、ザワークラウトを作ったりするレベルだ。あとサングリアやフルーツ漬けの焼酎も作る。美味しいものを見ると、自分も作ってみたいと思ってしまう。好きなのかな、料理。ただプライドが高いので、人に言われて作るのは嫌いだ。特に感謝できない人や当たり前と感じてしまう人に指示されたら、まずい料理を作るかも。義務は嫌いだ。

料理をしない後輩が職場でいじられ、料理について私に聞いてきた。何をつくるのか、どういう風につくるのか。めんどくさくないか、とか。私が思うに、後輩は非常に仕事が忙しいから、コンビニやお惣菜を買うことで、時間も買っている。職場の人も後輩に料理が楽しいと思わせる話しぶりをしたらいいのに、「コンビニばっかり」と上から目線だ。

自分の健康のためだけに料理を作り続ける人は少ないと思う。作ると楽しいとか、食べる人を喜ばせたいとか、自炊の目的以外に料理を娯楽として楽しんでいる。あるいは毎日のことに、娯楽性取り入れることで続いているのかもしれない。面白くしようとする努力って大切で、そうじゃなければ上沼恵美子の後番組にDAIGOを起用はしない。あの番組、タイトル聞くだけで面白そうって思わせる料理番組だ。

以前、趣味ではなく、家庭に時間を割く人が増え、寂しいと友人が嘆いた。その友人は結婚をし、家庭を持つことで、自分がやりたいことができなくなるのが嫌らしい。私は他人の意見を聞いたとき、その場ではふーん程度しか思えない思考力なので、この話になったときは「ふーん」しか言えていなかった。が、後輩の話を聞いたとき、この友人の話を思い出した。きっと友人は家族のためにする行動が義務に感じている。私、義務感って長続きしないと思う。楽しそうにしている人は、いつも新しい何かを発見して、またやりたいと自分に思わせる努力をしている。世の中を面白がる器があるんでしょうね。結局は所ジョージが世界の覇者である。家庭も楽しんでそう。

今日、ザワークラウトを作ったのだけれど面白くて。どうしてザワークラウトを作ったのかというと、youtubeやブログでザワークラウトを作っていた人たちが楽しそうだったから。楽しそうに今日あったことや夢中になっていることを話している人に出会うと、自分もそれやってみたいと思う。夢中になれるものを私も持って、あんな風に話してみたい。

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