14代宮崎寒雉作の「仙叟好 焼飯釜」能登半島地震復興への思いもこもった月釜で思い出したいろいろ
今日は3月10日。明日で13年。東日本大震災で被害にあわれた方々に思いを馳せるとともに、まだまだ復旧の途上にある能登半島地震被災者の方々にあらためて応援の気持ちを強める一日となりました。
今日は、午前中は3月らしく釣釜のお稽古で、雲竜釜と徒然棚。床の間はかわいらしいお姫様の絵で、桃の節句のイメージ。
午後は先生のご友人が月釜の席主をされるということで、御相伴させていただきました。
お軸は淡々斎のお筆の「春水満四澤」。八千代棚のお点前で、春の野遊びの趣向のお席で、どのお道具も洗練された取り合わせで心が清新な雪解け水で満たされるようでした。
そのなかでも、初めて見た「焼飯釜」。14代宮崎寒雉作のこのお釜には目が釘付けでした。
焼飯釜・葫蘆様釜 | 石川県 (ishikawa.lg.jp)
焼飯釜のエピソードが桐箱の蓋の裏に書き付けてあり、席主の先生が説明してくださいました。こんな感じのお話
このお釜は三角形柱の上の面がなだらかにまるまったおむすび型で、片方の鐶付と蓋のつまみがきのこ!もう片方の鐶付は琴柱という珍しい意匠。
仙叟と寒雉のピクニック先は卯辰山なんて、学生時代の私たちとおんなじです。籐のバスケットにおにぎりをつめてデートもしました(笑)
琴柱の鐶付はきっと兼六園へのオマージュなんでしょうね。
わたしは、お茶席で「寒雉」という名を耳にするたびに、「ああ、お懐かしい」という気持ちになり、大学の学生会館の和室での茶道部の日々を思い出します。
今日拝見したお釜のお作人は先代の方ということで、調べてみたところ、私たちのお茶会に来てくださっていた寒雉先生の息子さんにあたる方なのだとわかりました。
当時、茶道部の御指導くださっていた、大島宗古先生と十三代寒雉先生、それから十代大樋長左衛門氏と鵬雲斎大宗匠との特別対談の記事を見つけました。
なんて贅沢な大学茶道部だったのかと今になってその価値がわかります。
そして、今日のお席の下座床にはその十代大樋長左衛門のお茶碗の絵の掛物。それから、お菓子器に九代のお作の大樋焼の器が使われていて、席主の先生の石川県への思いが伝わりました。
焼飯釜のエピソードにあやかって、能登の方々が飢えることのないよう、微力ながらも応援を続けていきたいと改めて思った一日でした。
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