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人間の本質は慈悲心/仏教

人間の本質は暗さと言う方もいるそうですが

人間の本質は温かい慈悲心と

法華経には書かれています。


その慈悲心こそ仏様と同じ心です。

人の喜びや悲しみを共に感じ何としても

救われてもらいたいと願い手を差し伸べる

その心であります。


暗さとは負の部分を指していると思いますが

仏教ではそれを無明と言い

字の如く明るく無い 光が差さないという意味です。


どんな事が無明かと言いますと

様々なものとの縁で形が有る無い

好き嫌い良し悪し

好きなものには愛着心が湧き離れたくない

その愛しさから執着心が生まれ

離れたくない

壊れて欲しくない

それを守る為に嘘をついたり騙したり

手に入れる為に争いが生まれます


こうでなければならない

思い通りにいかないと苦しい悲しい

自分は偽善者、最低人間

私なんか出来る訳がないと自分を信じず

卑下しだします


そんな私利私欲を繰り返す果てに

私の人生なんだったのかと

人生の最期に寂しい思いをして

終わってしまいます。


この世は変化しているのにも関わらず

こうして極端に考える事や偏った見方

偏った行動は何事も上手く行きません

場合によっては身を滅ぼすことになります。



暗い心があたかもそれが自分だと

思い込んでしまい心に影を落とし

垢になって光を妨害する元になり

悲劇のヒロインになってしまうのです

これが無明です。

殆どの方はそんな姿が本当の自分だと

錯覚してしまっているのです



確かに人間はこういった事で苦しんでいます

ある意味では人間の仮の本質と言って良いかも

しれませんが人間の苦しみ暗さ 影の部分が

本当の人の本質、これが人間の全てでしょうか?

やはりこれは間違いと言わなければなりません



苦しみにも必ず原因があってこそ

苦しみが生まれてきます。




そんな無明から抜け出すにはどうしたら

良いかと言う事ですが

先程も冒頭で書きましたが

私達は仏様と同じ様な優しく温かく

自他共に信じ困ってる人を助けたい救いたい

もっと言えば

自分と他人の境界線の無い心を奥底には

持っています。


そんな温かい心があるんだと言う事を

まずは信じることです。



その信じる心によって行動していくことで

人の心配が出来たり

自分の事より人の幸せを願う

自分に変わっていき

だんだんと優しい自分がいる事に気づいてきます


そうやって

無明という全く光のない所に一筋の

光が差します、それが本当の救いです

そうやって

私達の正しい人格というのが

形成されていきます。


だから人間の本質が暗さなど

絶対に有りえないのです。

ただの心の習慣であったり

悲しみが癒えず辛い思いをされて中々

乗り越えられない大変な思いをされているから

そう見えるだけであって本来は優しく温かい

明るいものであります。


誰もが人生の岐路に立たされ

迷ったり苦しんだりします。

ですが仏教などの宗教は

正しい道に光を当て導いてくださるのです


自分で道を探すのは悪いことではありません

ですが指針がなく歩くのはとても危険です。

わざわざ茨の道に生き、苦だけがつきまとい

悲しみに絶望し喜びの少ない人生に

なってしまいます。


ですが正しい仏教 宗教は

苦難があっても

安全で迷わず最短で幸せに

生かしてくださります。

毎日清々しく明るく優しい気持ちを

保ち続けられます。


間違った事を本質だと声高に言い

身勝手に悟ったような事を言って

世間に吹聴してしまっては

周りの人は彷徨い

この世は大変な方向に向かってしまいます。

どうか自分で気づいた事が本当に正しいのか

間違っていないのか、しっかり考えてから

SNSには投稿してみては如何でしょうか?


投稿するということは相手が見るということです

見るということは相手の人生に

少なからず影響を及ぼすということです。


ですので何を投稿しても良いわけではありません

責任が必ず生じます。

周りがやってるから そんな風潮だから

それが正しいとは限りません。

罪を作り自分が幸せになることは

絶対にありません。

それだけでも理解して頂けたら幸いです。


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