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信念は柔軟に観ていく心/仏教

信念というのは貫くものだというのが

この世の常識、もしくは善人のように

思われます。

確かにその通りなんですが

一歩間違うとただの頑固者の強情っぱりに

成りかねません。


この世は

その時その時に応じて変化をしていますので

その変化に応じて最上の答えを導く事が

大切であります。

1つの答えならばその状況に合わないことも

起きてきます、それに抗い貫くと必ず歪みが生じ

残念ながら物事が上手く行きません。


こんなお話しがあります

以前お話ししたことがありますが

風外禅師という高僧がいました



゛風外禅師とアブという愉快な話があります


風外禅師が破れ寺の住職をしている時

ある商人の悩み事の相談にきました。

風外禅師はその人の話を全く興味を示さず

一匹のアブが障子にぶつかっては落ち

また飛び上がって障子にぶつかって落ちる様子を

一心に見てるのです。

商人がたまりかね


「和尚さんは、よっぽどアブがお好きと

  見えますね」と皮肉を言うと


風外禅師はこうつぶやくのです。

「あのアブのう。あれは、どんなことがあって

  もあの障子から外に出ようと

    決めておるようだ。

  この破れ寺、どこにでも広い出口があるのに

  あの障子を目掛けて頭をぶつけてばかり

  おるわい。

   人間にもそういう者が おるのう。」゛


この世の真理は2つも3つもなく1つですが

その1つの真理に導かれる方法は

万億にあります。

この世の変化を受け入れその中で

今信じている他にも もっと高みに行ける

または もっと最上な答えが

あるのではないかと思う事

そんな柔軟な心が人を深まらせ高みに行ける

考え方でないかと思うのです。


諸行無常とはいつも言うように

変化することですが

私達は何処までも高まれます。

また

量りしれ無く ここまでというゴールのない

無限の心がある事と解釈しても良いかと

思います。 

無量無辺と仏教では簡素に言いますが


人は自分勝手に自分は才能が無い人間だとか

俺は駄目人間だから生きる資格が無いとか

決めつけてしまいます


無量無辺に高まれる私達だと自分の事を信じ切るのもまた正しく見る、正見ではないでしょうか。

出来ないと思っているのもこれまた妄想であり

成長を止めている原因かと思います。

人間の心というのはそれだけ

無限の可能性があるというのも真理であります。

風外禅師の破れ寺のお話しのように

苦しみから抜け出す道や本当の救われの道は

無数にあります。

心を柔軟にまっさらの状態で物事を観ていく事

それが己が本当の自由になるポイントではないでしょうか。


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