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人は人、自分は自分ではない、仲間の大切さ/仏教 写真

人の批判は我の主張をするから

見るに耐えないものになるのです。

だから人によっては

見て見ぬふりをする方もいるでしょう。

ですがその主張が間違っていて

その間違った主張を世間が称賛し

この世がそんな考え方に染まったら

皆さんそれでも無視しますか?


例えばコンビニまでの道を

逆方向に歩いた人がいます。

その人を見て間違ってるけど

していることを否定することになってしまうから

放っておいたら気付いた時には

また同じ距離を戻らなければなりません。


それが遠ければ遠いほど絶望してしまいます。

それと全く同じだと思うのです。 


これはコンビニだからよかったものの

これが人生の分かれ道でも

その人を放おっておくのでしょうか?


これは冷静に考えても不親切極まりなく人は人

自分は自分と言って冷酷な態度 

人でなしではないでしょうか。


只々自分の欲ばかりを追い求め不平不満ばかり

言っていては

年老いた時 自分の人生は何だったのだろうと

後悔して死んでいくだけです。

結局自分の立場を守る余り新入社員に

迎合し忖度してしまう中年サラリーマンのようになってしまい

周りからも慕われず馬鹿にされるという

始末になってしまうのです。

これを無害の悪害と言います。


批判をしているものに批判をしないのではなく

その批判がどう間違っているのか

人間としてどう生きるべきなのか

その大切さを直接でないにしても説いていく。

それによって人に正しい道に

進んでもらえるように役に立つようにする。

そうすればこの世は調和が生まれると思います。


この世の正しさは何なのか、真理とは何か

どう生きていくのが正しい道なのか

それを一人ひとりが知ろうとする事

人間としての道を歩もうとする心が

大事だと思うのです。



それは1人ではできません。

だからこそ互いに学び

道を外しそうになっても

仲間と話しているうちにまた気付きかあり

また気持ちを立て直せたり助け合ったりと

みんなでそういう仲間を作るのです。


その大きな組織が社会ではないでしょうか。

この世は冷たいとか社会は冷たいと言いますが

そんな社会を作ってきたのは私達です。

私達がそんな社会を優しい温かい社会に

していければ

こんな素晴らしいことはありません。


皆共に歩む世界、それが世界平和です。













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