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ファインダーを覗くと/エッセイ、仏教

カメラのファインダーを覗き雲を観る

雲は刻一刻と形を変え変化していく

生まれては滅し生まれては滅する

どこからが始まりかもわからないほどに。


ちょっとしたきっかけで全く無縁であったフィルムカメラを今年から始めた、その事は
いずれ書かせてもらいたいなぁと思います。

写真は真を写すと書く
生じては滅する諸行無常の真理を
雲は教えてくれる

その雲のほんの一瞬の姿をフィルムに
収めていく、いや させて頂いているのだ。

だから私は
「わたしが作ったとか僕のオリジナル」とか
独創などとは言えない。
写真なら撮らせてもらっているだけに
過ぎないのだ。

お釈迦様は直感でこの世の真理を悟って頂いた
にも関わらずお釈迦様は決して
私の独創とは言わなかったのだ。

これこそ謙虚の姿である。

オリジナルとは根源という意味だが

その根源である命を私達は感じそこに
戻っていく事が大切なことではないだろうか
だから写真を撮っているのではなくて
真理を撮らせてもらっているのだ。

ファインダーから観る対象の命と我との
調和一体感を撮ってこそ真を写すと
言うのではないだろうか
それを仏教では諸法無我と言うのだ。 

まだまだその領域にまで完璧に
出来るわけではないけれども
そう思いながら日々歩んでいく所に
調和、いわゆる平和になる為の心が
創られていくと私は信じている。

ファインダーをを覗きながら
気づかせてもらった事だった。

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