見出し画像

忍辱とは寛容な心/エッセイ、仏教

文字であろうが音であろうが

同じ人が表したものなら

それは同じものだと私は思っている。


ミュージシャンの矢野顕子さんは

音も人なりと言っていたが

本当にその通りでその時の心模様が必ず音に

表れ性格までわかってきてしまう

それぐらい音には心が表れていく。


だから音に表そうが文字で表そうが

結局つまるところ同じなのだ

それを違うというのならそれは

偏見と呼ぶのではないだろうか。


偏見とは偏った見方という意味だが

偏見は諸々の判断を誤り

心に濁りが生じてきてしまう

自ら苦を生みだし実に心が辛い。


忍辱とは仏教の言葉で耐え忍ぶという意味だけど

先日読んだ本には

苦しみを耐え忍ぶだけが忍辱ではなく

寛容な心を持って受け入れる事こそ忍辱だと

そんな意味合いの事が書かれてあった。


偏る心ではなく価値観が違くとも

寛容な心が硬くなった心を解放していくものに

なる鍵ではないだろうかと気づかせてもらった。



己の心の変化によって

病や仕事、人間関係など日常の変化

状況が変わっていく

それがこの世の真理であり

仏教の深遠さ寛容さではないだろうか


この仏教の素晴らしさをみんなにも

知ってもらいたい

それにはまず自ら実践から始め

自らが変わり

そしてこの世の平和を願う。


苦しみ彷徨っている姿を見ると

願わずにいられないのである。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?