白米にも心がある/仏教
ものに命が宿る、又は心があると
何処かで聞いたことがあると思いますが
確かにその通りだと思うのです。
ですが
もう一段階上に考えていくと
宿ったのではなく元々宿っているのではないかと
思うのです。
ある実験をしていた方がいたのを
何処かで読んだのですが
白米を2つの瓶に入れ
Aには挨拶をしたり有難うと声をかけ
Bには何も声をかけないでいるとどうなるか
という実験をしていた所
Bはカビが生えてしまい
Aは発酵したそうです。
これは白米に命があり心がある証明であります。
どなたが仰ったのかはわかりませんが
昔の高僧が
一切衆生悉有仏性と申しました。
どんな意味かと申しますと
この世の一切の生きとし生けるもの全てに
仏様の心を兼ね備えている生命である
という意味です。
私達は身勝手に、好き嫌い、良し悪しで
無意識に判断し差別してしまう
愚かな部分があります。
ですがそれは 私達の本当の姿ではありません
先程申したように
私達は仏様と同じ心を頂いているというのです。
水だろうが 草木だろうが 花だろうが 土だろうが
虫だろうが 動物であろうがみんな全てです。
能力や知識、体格などの差はあるにせよ
皆平等にその生命を頂いています。
そして
生きとし生けるものは皆、持って生まれた
才能、能力、何かその人ならではの
得意なものを頂いています。
性格も然り、おっとりしてる人もいれば
優しい人もいて、元気いっぱい明るい人もいるし
大人しく内省的な人もいる
そういったものを備わっています。
これが仏様と同じものなのです。
それを生かして人様をお救いする道に
導いていける、そういう役目を
私達は頂いています。
そういう心を宿しているので
どんなものにも役目があるのです。
冒頭の白米の実験において
一切衆生悉有仏性という言葉
この世の真理を証明してくれたと言っても
過言ではないかと思います。
本日は全ての生きとし生けるものに
心、命があるのだというお話でした
読んで頂き有難うございました。
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