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実家の桐ダンスを開けてみて、そこにあった意外なもの



最近は見かけなくなりましたが、昔は嫁入り道具として桐ダンスを購入していた家系も多かったようです。


うちの実家も、そのひとつ。築50年以上、70代の父親が1人で暮らしています。
母親は約10年まえに病気で他界しました。


今は、体調確認を目的として、数ヶ月に一回帰省しています。
どうせ帰省するなら、ということで、今回の帰省の際も、「何かメルカリで売れるものはないかな。」と物色していました。


そういえば、桐ダンス。小さい頃の記憶を遡ってみても、自分で開けた記憶がない。
父に一応確認をとって(父;好きに探しな!と投げやり、笑)開けてみると・…・思わぬものを発見しました。


それは、まだ私が小さかった頃、当時30−40代だった母の友人からの手紙達。
送り主の名前は、「そういえば、よくお母さんが○○って呼んでた人がいたっけ…。」と、うっすら蘇る記憶。
試しに手に取って見た手紙を読んでみると


・手術後の経過を心配する内容(母は私が小さい頃婦人科系の手術をしていた)

・母に、美容師としての再就職を提案している内容(働いていた時代の母を知っていたのか、母が友人に相談したのは分かりませんが、とても温かい言葉で、もう一度美容師として働くことを提案してくださっていました)

・お金がそんなに無くても、凄く良い暮らしができなくても、平凡な人生が一番だよね、という内容

・娘(私)と母の写真を送ってよ!という内容(当時はインスタもありませんからね。なんか、良い提案だなあとしみじみ。私も友人の子供が生まれたら、ツーショットお願いしてみよう)

が書かれていました。
桐ダンスで約30年、大切に守られていた手紙なので、カビもなく、とても綺麗な状態で見つけることができました。


その手紙を読んで、つい涙が出ました。
私の知らない、母の独身時代、母が友人にとってどんな存在だったか、どんな関係性だったか、仕事が好きだったか、結婚してからも友人とこうやって交流が続いている存在だったことを知ることが出来、嬉しかったからです。


それと同時に、子供がいたことで、善かれ悪かれ、諦めた選択肢があったのかもしれない、と感じました。
本当は、子育てをしながら、母はもう一度美容師として働きたかったのではないか。
明るい母でしたが、長男である父の実家に嫁ぎ、都会で磨いた美容師としてのキャリアを捨てた。
私も結婚後、キャリアについて悩んだため、もし母が仕事が大好きだったら…気持ちが痛いほどわかる気がします。
今は、田舎といえど、その選択肢も、30年前に比べると選びやすい時代だと思います。
今、もし母が子育てをしていたら、きっと、パート美容師をしていたんじゃないかな、と。


私が学生の時母は亡くなったので、仕事の話を、母としたことがありません。
きっと、生きていたら、職種は違えど、仕事好きな女性、として、多くを語り合えたんだろうな、という気もします。



母が私と同じくらいの時代から、30年経ち、30年前とは比べ物にならないくらい選択肢が多くなった今に、悩んでいる娘がいます。
将来的には、医療職だけでなく、他の国家資格も取って、複業をしたい。でも、子供についても、30代前半なのに悩んでいる自分がいます。
何かを取れば、何かを捨てる。頭では分かっていても、子供は欲しくない、と言い切れない自分がいます。複雑です。

ただ、今回、母の友人からの手紙を見つけて、決意したことがあります。
それは、母の実現できなかった人生を送るのも、良いな、と。
子育てをしながら、働き続ける。子供がいなくても、仕事が大好きな女性、妻として働く。
どちらも、母が望んでいなかった人生かもしれませんが、もし母が、自分の選択を後悔した瞬間があったとしたら、娘がやってみても、良いかなって。

手紙は、我が家のデスクに、母の写真と飾る事にしました。
思い悩んだ時、生活の変化があった時、資格取得に向けて勉強する時、このデスクで、母の30代を想像しながら、娘の私にしかできない選択をやっていくぞ!と決めた、そんな週末でした。


余談ですが、今回見つけた手紙に、20代後半だった母が友人からもらった手紙もありました。その内容は…


・結婚して子供産まれて、久しぶりに北海道の旅行写真見たら、旅行行きたくなっちゃった!○○ちゃん(母の名前)、旅行計画しない!?

・○○ちゃん独身だと、肌綺麗で羨ましいよ〜、私なんてシワ増えてショック!

・もう30が来るなんて信じられない!中学校卒業して10年しか経ってないんだよ!どうしよ〜

といった内容。
世代は違っても、アラサーで感じる危機感は、時代共通なんだと思いました(笑)

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