何も手につかない。勉強しようとしても右から左に文字が流れていくだけ。何故か分からないけど、何もしたくないという感情だけが自分を占めている。窓を見ると空がどんな光も許さないという勢いで暗い。自堕落だなと思いつつも今の自分を正当化しようとしている。

 「力」と聞いて何を連想するだろうか。筋肉?それとも社会的地位?色々あるけれど私には圧倒的に欠如している力がひとつある。
 それは「許す力」だ。気に食わないことがあると相手を許すことが出来ずに心の中で異常なくらい責める。やってる事は中々に非人道的だなとは自分でも思っているけれど、私の性格はひねくれてるもんで、やめようというつもりが生まれてこない。寧ろ自分が正しいという洗脳を自分に施して事なきを得る。この許す力が欠如していると、まぁ生きずらい。友人から楽観的に生きろと言われても、どうにもノウハウが分からなくて消え去りたくなる。最近よく思うのだが、楽しく生きている人はどんな思考回路を組んで生きているのだろうか。わがままに生きているから?はたまた誰かがその行為を許して慰めているから?全く分からないけどそんなそんな感じだろう(すみません)。

 目の前にいる相手を受け入れること、これが強さだと曾祖母に言われたことをぼんやりと思い出す。その言葉を聞いた時にただひたすら、美しい考えだ、と全身で感じた。だから、その時は幼いながらも理解しようとしたけど結局無理だった。今考えてみると案外わかるものだ。目の前の相手を受け入れる覚悟、強さを実感するような場面が歳を重ねるごとに増えてきた。多分、今まで実感してこなかったのは周りのサポートのおかげだろう。感謝しかない。受け入れるのは難しい。初対面ならまだしも、関係が深い人の意外な一面を知った時はパンドラの箱を開けた気分になる。相手の頭の中を細部まで覗いて、あぁあなたはこういう人なのね、と分かったら苦労もしないんだろうなとか考えるけどそれはそれで知りたくない部分まで知ってしまうので全てを知ることは恐ろしいなとも思う。強さと生きることはイコールで繋がれてると考えているので、ここ1ヶ月はできるだけ挑戦している。
 ただ、120パーセント理解できないような人はそこそこいるので自分が何をしたいのか分からなくなる。ただ一つだけ、自分の力量不足を実感する。学校生活を送っていたり街を歩いて往来するのを見ていると膨大な情報量で頭がクラクラする。学校の人間関係の方は何とか飲み込むことが出来た。味がしなくなるまで咀嚼して、無理やり飲み込む。これが最近のやり方だ。

 音楽を聴いている時は正直になれる。ドラムのリズムを足で取りながら、ベースの音を内臓が響くほど感じながら、ギターの音で脳を麻痺させながら。自分らしいとはこういうことを言うのかななんて考えつつも、イヤホンで外の世界と関係を絶つ。私は人前で正直になることが下手なので音楽が無くなってしまうと、本当にしょうがない。

 好きな音楽の演奏動画を見て、なんの計画性もなく音楽アプリを入れ、適当に画面をタップして遊んだことがある。何も知らずに遊ぶのは楽しい。アーティストになるのも夢があるなと考えながら、その日は自分の今までの夢を思い返して終わった。

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