君 の 声
携帯が鳴った。こんな、夜更けに・・・。まあ、眠れないのだから・・・、そんなご時世だ。皆、そうなのだろう・・・。
「羽奈賀さんのお電話で、よろしいでしょうか?私、諸島部収容所の者ですが」
「はい・・・あ、艶肌に何か・・・?」
「ああ、羽奈賀さんが、潮音つやきさんの、身元引受人で、よろしいんですよね?」
「はい、そうですが・・・」
「先程、潮音さんが、息を引き取られました」
「・・・、艶肌が・・・?・・・急変した、と言うことですか?」
「あの、それが・・・詳しくは、お越し頂きましてから」
「昨日、会いに行った時には、元気だったんですよ。声は出ませんでしたが・・・」
「すみません。真夜中ですから、明日の朝一番で、お越し頂けたら、助かります。それまでにですね、こちらで、ご遺体の搬送スタッフを・・・」
何を言っているんだ?「収容所」「身元引受人」・・・犯罪者じゃないんだ。なんで、そんな言い方なんだ、と、前から、思っていたんだ。
で、艶肌が・・・。あ、あああ、嘘だろ・・・、こんなに早く・・・、この病気は、人によって違うから、千差万別で・・・、でも、いずれ、そのようにとは、思っていたんだが・・・。
「萩?・・・起きてんの?」
「ああ、数馬・・・今、電話があって、艶肌が亡くなったって、何の冗談だよ、って・・・」
「・・・え・・・だって、昨日、会って来たんだろ?案外、声以外は、進行していないって」
「・・・そうだよな、そう・・・」
「萩・・・」
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翌朝、俺は、一睡もできないまま、月城先生と、数馬を伴って「月鬼症候群専門諸島部収容所」に向かった。リルリモを出そうとすると、運転は、珍しく、月城先生が買って出てくれた。俺が運転していくと言ったのだが。
「ダメだ」
「ごめん、俺が、免許取ってれば・・・」
「今、お前が、艶肌に呼ばれては困る・・・まあ、誰でも、困るからな」
月城先生は、今回は、譲らなかった。後から、数馬に聞くと、あの時の俺は、もう、かなり、おかしくなっていたらしい。
車の中で、腹立たしくなっていた。あんなに、強くて、しなやかで、折れることのない、艶肌に限って、死ぬなんてこと、有り得ない。確かに、声は出なくなっていた。スコープで声帯を見ると、黒墨に侵されて、動きが遮られてしまっていると聞いた。つまりは、それが無くなれば、また、声帯は動く筈だ。しかし、声は掠れ、次第に出なくなり、ついには、奪われてしまった。芝居の台詞も語れず、得意の歌も歌えず、確かに、艶肌は嘆いてはいたが、でも、負けないと言っていた。肌には、まだ、黒墨は出ていない筈だった。
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数か月前に、面会に行った時のことだった。この時はまだ、発声ができ、声が出せる状態で、艶肌と、普通に話をすることができた。
「こんな時にさ、なんだけど・・・」
「ん?」
「この病気の割に、私、ラッキーなんだよ」
「そう・・・なんだ、どういうこと?」
「普通ね、肌に出るんだよ。それが出てないでしょ。後、婦人科ね、子宮とか、そっちの。それも、多くの人が早く出るんだけど、私は、出ていないんだって。だから、まだ、ワンチャンスあるから、って」
「何が、ワンチャンス?治るってこと?」
「ううん、治らないけど、まだ、大丈夫なんだよ」
「何が?」
「赤ちゃん、産めるの」
「・・・あ、そうなんだ・・・うん」
「何よ」
「え?」
「そのリアクション」
「え、だって、黒墨病になってるのに、そんなの、・・・どうなんだろうと・・・」
「どうも、こうもないよ。だから、赤ちゃん」
「うーん、どうして、そんなに前向きなんだ?」
「えーっ、どうして、萩こそ、後ろ向きだよー」
「・・・まあ、解るけど、それって・・・」
「そだよ、萩の赤ちゃんだよ」
「でも、それって、身体に負担とか、生まれてくる子がどうとかって・・・」
「結婚しようよ」
この病に罹ると、結婚は取りやめ、恋人は別れる。―――黒墨病、つまり、月鬼症候群とは、そんな病気だ。将来的に、長く生存できる確率は、極めて低い。女性の数だけ、辿る経過があり、ゴールは死しかないのだと。将来の見込めない相手となった女性は、自ら、身を退くのだという。
「・・・ううん、ごめん。そだよね」
「あ、いや・・・」
「死んだ後、育てるの、大変か・・・そだよね」
「・・・そうじゃなくて、艶肌、とにかく、艶肌の身体自身が、今、心配なんだ。本当に、それが大丈夫で、大事にしていければ、それでいいが」
「ううん、ごめん、我儘言った。忘れて」
「・・・ああ、いや」
「外出許可、要らないかな、そしたら」
「艶肌・・・それと、これとは別だろ?今、行ける所に行って、できることをして・・・」
「だから、できることをする。萩と愛し合って、赤ちゃん、作る。じゃなきゃ、意味がない」
「・・・」
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「なら、まず、結婚すればいい。結婚はできるだろうが」
月城先生が言った。数馬も、
「うん、そうした方がいいよ。後悔、先に立たずだからね。それは、子どもの問題とは別に」
「うん・・・それは、考えてるんだけど」
残せたら、いいのかもしれない。しかし、この病に纏わる噂の一つとして、発症した母親から、女の子が生まれた場合、生まれつき、母の身体から、受け継いだ遺伝子の中からの発現が、早いとも聞いたことがある。既に、症状の現れた状態で、生まれてくる子もいるという。
色んな、辛い予測が、俺を襲った。生まれてきた子の身体に、既に、黒墨があったら・・・。誕生を手放しで喜べないなんてことも・・・あるかもしれない。それに、妊娠中に、症状が進んだら、母子諸ともということもある・・・。
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その後に会った頃から、声が出づらくなっていた。前の面会から、1週間しか経っていないのに、苦しそうに話す。水を飲みながら、頑張って、喋ろうとするが、疲れた感じになってしまった。
「いいよ、無理に話さなくて、筆談でも」
「・・・うん」
すると、艶肌は、メモ用紙に、こう書いた。
「歌いたい。舞台に立ちたい」
「そうだよな。俺も、その為の脚本や、歌詞、書いてるんだから・・・それが、俺の生涯の仕事だって、信じて、やってきてるからね・・・」
「ごめんね」
「違うよ。そういう意味じゃない。・・・ごめん。違うんだ」
「気にしないで、大丈夫」
いつも通り、笑顔を向けてきた。俺は、頷き返した。
「あと、しなくていいから」
「・・・何を?」
彼女は、掠れ声で、小さく言った。
「結婚」
「・・・」
この時、俺は、どんな顔をして、艶肌の前に居たんだろう。
即座に、それを、否定してやることができなかった、俺は・・・。
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病院に駆けつけると、もう収容室ではなく、直接、遺体安置所という場所に案内された。
大きな部屋で、カーテンで仕切られて、まるで、それは、大部屋の病室と変わらなかった。しかし、入り口を入ると、人のすすり泣く声が聞こえてきた。
「亡くなる方が多いの、かな・・・」
数馬が、小さな声で、月城先生に呟くように言った。俺に言ったわけではないようだ。
「こちらです」
この案内が、ますます、病室の感じを掻き立てた。
・・・ひょっとしたら、艶肌は生きてるんじゃないか?
カーテンを捲ると、ベッドに横たわる艶肌がいた。
「ねてんじゃんか、艶肌」
俺は、そう言った。しかし、次の瞬間、首に赤い痕があるのが解った。
「死因は・・・?」
「・・・夜中、皆が寝静まった後のことだったようです。ストールをベッドの角に結んで・・・、見回りの時に、ベッドから落ちられたのかと思ったんです。そしたら、その時にはもう・・・」
「・・・じゃあ、艶肌は、黒墨で亡くなったんじゃないんですね」
「・・・申し訳ありません」
「・・・」
「萩・・・」
「嘘ついたな、大丈夫だなんて、全然、大丈夫じゃなかったのに・・・」
「萩・・・」
「俺の、俺の所為だ、子どもも、結婚も、即答してやれなかったから・・・」
「・・・落ち着け、萩」
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「昨日の診察で、皮膚に、若干の病変が見られたので、婦人科の検査も同様に行いました所、やはり、病変が現れていました。その時、ご本人は、『ついにきたんだね。でも、全然、痛くないから、大丈夫だよ』と言っていたので・・・」
主治医は、そのように説明した。
艶肌は、自ら、命を絶ったのだ。演じることのできない自分に・・・、あれほどの表現力で、沢山の劇中歌を歌って来たのに、声も失い、頼みにしていた、望んでいた子どもへの希望も絶たれ、婚約者からは、先々の返事すらしてもらえずに・・・全てに、絶望したのだ。
「多分、今のままで終わりたかったのではないかな・・・艶肌のことだからな」
月城先生は言った。俺も、そう思いたかった。歌姫と言われた、その声が奪われた上、これ以上、肌に黒墨が現れて、名前にまでした、自慢の肌が、病魔に侵され、汚れて行く前に・・・と、きっと。
「あれ?・・・これ、艶肌の字だよね、萩」
先日まで、筆談で使っていたメモ帳だった。数馬が、持ち物の中から、見つけたらしい。
「あれがいいな
国産物語第5代で着たやつ
↑
ドレスのことだよ」
「結婚式で着たかったのかな、あれを」
「・・・」
数馬の問に、月城先生は黙っていた。きっと、意味が解ったんだ。
「あれ、着せてやっていいですか?衣装は、なくなってしまいますけど・・・」
「ああ、着せてやれ。本人の希望だ・・・数馬、頼む。ちょっと、取ってくるから」
「ああ、そういうことか・・・あああ、萩、ごめん、俺・・・」
「いいよ、数馬」
「数馬、萩についてろ」
「はい」
月城先生は、折っ付き、リルリモを飛ばして、ミントグリーンのウエディングドレスを劇団まで、取りに行ってくれた。
清拭の後、艶肌は、このドレスに着せ変えてもらった。月城先生が、劇団に戻ったことで、知らせを聞いて駆け付けた、スタッフが、集まってきた。メイクのスタッフが、舞台化粧さながらに、施した。すると、艶肌は、ますます、起き上がって、動き、踊り、歌い、台詞を喋りそうだった。
「もう、名演技だな、お前・・・」
思うだけにすれば、良かった。つい、口をついた、その一言で、周りの仲間たちは、すすり泣きを始めた。
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葬儀は華やかに行われた。生前の彼女の劇中歌が流された。
芝居のパブリシティに使っていた、等身大パネルの、そのミントグリーンのドレス姿の艶肌が、祭壇の横に立っていた。皆が、そこに集まって、声を掛けて行った。
俺は、初めて、お前に出会った日のことを思い出していた。東都大のキャンパスで、温い授業に転寝してる所に現れた。10分も絶たない内に、大学の敷地内のメイズで、キスをしていた。強引なまでに、俺の恋人になって、俺の将来の道まで、勝手に決めてしまった。なのに、別れる時まで、こんなに急に、勝手に・・・いくら、「巻き」で仕事を進めるのが、好きだからって、これはない。もう、少し待ってくれたら、ちゃんと、籍を入れて、式もしてと思っていた。外出許可の日だって、思う様にしてやれた筈なのに・・・。
本当に、ごめん。もう、悔やんでも、悔やみきれない。
「辛いのに、長患いしたくなかっただけだよ」
「痛がってるの、萩に見せたくなかったんだ」
「・・・え?」
「ごめんなさい。羽奈賀先生。艶肌ちゃんに頼まれてたの・・・」
歌が終わった後、艶肌の肉声が流れてきたのだ。艶肌と懇意にしていた、スタッフの女性の一人が、歩み出てきた。続きと思われる部分を、携帯電話の録音を再生してくれた。
「もしも、亡くなったら、どこかで、萩に聞かせてほしいんだ、お願いできるかな?・・・あはは、多分、まだ、暫くは、これも使わないと思うけど・・・」
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この後、暫く、羽奈賀は、筆を置いている。東国南部にある山寺に、その身を寄せていた。彼の心は、何も産み出さなくなってしまっていた。劇団の者たちは、心配したが、月城は、暫く、その寺の住職に、彼を預けることにした。彼のその、心の痛みが、和らぐまで。
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「じゃあ、ここで名前、教えあっとこ・・・私、ツヤキっていうの、君は?」
「あ、羽奈賀です」
「はねなが君?・・・珍しい名前。うちの先生ね、知ってる?月城紫京って?」
「え、だから、この封筒・・・ああ、月城歌劇団って、こないだ、演劇関係の雑誌で見た」
「うん、学生の青田買いしてるの。有望な座付き作家になる人、探してるの」
「へえ・・・で、俺?」
「そう。君の本、気に入ったみたいよ」
「で、君は・・・えっと、なんだっけ?」
「ひどーい、名前、憶えてないの?」
「ああ、えーと、ごめん・・・ああ、つやきさんだっけか・・・」
「そうよ。私の名前、艶に肌で、艶肌」
みとぎやの短編「君の声」
惟月島畸神譚~蜂宮二十傑国母システムPolyandry「命を懸けて」より
お読み頂き、ありがとうございました。
みとぎやの物語の世界「伽世界」には、概して、問題があり、その一つが「黒墨病」と呼ばれる、謎の病気「月鬼症候群」、これが、常に付き纏ってきます。
今回は、それがテーマのお話でした。
確か、この主人公の名前は、先日ご紹介のお話に登場していましたが、今回は、時系列的には、それより、少し、昔の話になっています。
そして、確か、他の物語にも、同じ病気の人、いましたよね。
「スラムの灯」では、亡くなった女性は皆、この病気でした。
艶楽師匠も、患っている病気です。
そう、この病気は、ずっと、昔から、何故か、女性♀にだけしか、発病しないのです。何故なのでしょうか?
そして、この病気が、蔓延した場合、この世界には、どんなことが起こってくるのでしょうか?
この設定は、十年以上前にできていたものでした。
実際の生活の中に、感染症の脅威が訪れて、描きながら、心が痛くなりました。「お話だけにして・・・」と。
今回、敢えて、投稿させて頂きました。
現実と物語が、あまり、良くない形でシンクロしてしまった、と、感じていますが、せめて、物語の中には、光を見出していければいいなと、今後の執筆を考えている所です。