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奇跡講座、ヌーソロジー、日月神示などを参照していますが、個人的には「大人になろう」がモ…

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奇跡講座、ヌーソロジー、日月神示などを参照していますが、個人的には「大人になろう」がモットーです。外部サイトは https://acim.jp https://acim.blog https://mousouron.net ですが、予告なく削除するかもしれません。

マガジン

  • デジタルに疲れたとき

    昔の歌や音楽のマガジンです ほっとするものが多いです たまにアップテンポのものもあります

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新幹線チャイムの「元ネタ」

2分9秒からそのメロディーの原形が出てきます。 ちなみに、本物のチャイムは以下です。 https://www.youtube.com/watch?v=RgK5JHZ_25Y 個人的には旅先が思われる旅情を感じるので、たぶんデジタルですがマガジンに収録しました。

    • あゝこの世から 出ずになんとか し続ける ほんにこの世は 「出ずにーランド」

      • 「「メインキャスト」が多すぎたためか、エンドクレジットが異様に長い」感。 無駄に長いエンドクレジットは、早く終わってほしいので、いずれ飽き飽きしてくるものです。 つか、映画に忠誠を尽くす必要はないので、飽きたらさっさと映画館を出ればいいんですが、「おまけ」が気になるという言い訳。

        • 現在起きていることは、霊的伝統でいう単純な「光と闇」ではなく、言ってみれば「明るい闇」と「暗い光」との間で決着を付けようとしているが、どうしてもうまくいかない、という感じのようだ。 2軸思考的に言うとこれはつまり、「明るい光」「暗い闇」「明るい闇」「暗い光」という4極であろう。

        新幹線チャイムの「元ネタ」

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        • あゝこの世から 出ずになんとか し続ける ほんにこの世は 「出ずにーランド」

        • 「「メインキャスト」が多すぎたためか、エンドクレジットが異様に長い」感。 無駄に長いエンドクレジットは、早く終わってほしいので、いずれ飽き飽きしてくるものです。 つか、映画に忠誠を尽くす必要はないので、飽きたらさっさと映画館を出ればいいんですが、「おまけ」が気になるという言い訳。

        • 現在起きていることは、霊的伝統でいう単純な「光と闇」ではなく、言ってみれば「明るい闇」と「暗い光」との間で決着を付けようとしているが、どうしてもうまくいかない、という感じのようだ。 2軸思考的に言うとこれはつまり、「明るい光」「暗い闇」「明るい闇」「暗い光」という4極であろう。

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        • デジタルに疲れたとき
          4本

        記事

          ワンネスの諸段階(その2)

          (6月28日追記。記事にかなり手を入れました) ワンネスの諸段階(その1)|ふう (note.com) からの続きです。 さて、本題に入る前に、もう一つ確認する必要を感じました。 まず、例えば仏教では、六根と六境というものがあり、例えば視覚認識に相当する区分としては、認識対象は「色」、認識器官としては「眼」とされています。 では、例えば以下のイラストはどうでしょうか。 このイラストには「HOT COCOA」と書かれていることは、大抵の人は理解できると思います。 で

          ワンネスの諸段階(その2)

          ワンネスの諸段階(その1)

          さしあたってのワンネスとは、こういうことのようです。 これはどういうことか。 例えば、今、自分が目の前のマグカップを見ているとします。 その事態に関して、通常は、マグカップを「認識対象」として、それを肉眼が捉えて、そしてその視覚情報が脳内で処理されることによって、「今、自分が目の前のマグカップを見ている」という認識が成立する、みたいにして捉えます。 (これは英語でいう「perception」、つまり「知覚」のことですが、この場合、日本語ではこれは「認識」に含まれるため

          ワンネスの諸段階(その1)

          「神なき覚醒」は、どこにも行き着くことがありません。 怖くなるかもしれませんが、これは事実ですから、私ではどうしようもありません。 もう一つの問題は、「「神」だと思っているもの」と実際の神とは、まるで違います。 いずれこのことはわかるでしょう。 これで私の仕事は終わったようです。

          「神なき覚醒」は、どこにも行き着くことがありません。 怖くなるかもしれませんが、これは事実ですから、私ではどうしようもありません。 もう一つの問題は、「「神」だと思っているもの」と実際の神とは、まるで違います。 いずれこのことはわかるでしょう。 これで私の仕事は終わったようです。

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          なごり雪 イルカ

          「電車」ではなく「汽車」という辺り、時代を感じます。 ちなみに、「かぐや姫」というグループのバージョンが元のようです。 https://www.youtube.com/watch?v=G6VToiLye0w

          なごり雪 イルカ

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          中島みゆき 時代

          初めてこの歌を聞いた時は、涙が止まりませんでした。

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          この空を飛べたら

          作詞作曲が中島みゆきで、歌が加藤登紀子だったようですが、他の動画を見ても、まるで中島みゆきが歌っているように感じるほど、何かが似ているのを感じました。

          この空を飛べたら

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          中島みゆき 世情

          変な表現かもですが、なんか太陽系の外や天上界から地上を見ているかのような「高度」を感じます。 ※シュプレヒコール : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%92%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB

          中島みゆき 世情

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          仏教の八正道の中の「正念」の「念」とは、元の言葉は「sati」なんだけど、これが「幸(さち)」と音が似ているのは偶然か。 「今」は常に「正念場」であり、「今」の下ではたらいている「心」が「念」、つまり潜在意識のことか。 「念仏まふさんとおもひたつこゝろ」(歎異抄第一条)であろう。

          仏教の八正道の中の「正念」の「念」とは、元の言葉は「sati」なんだけど、これが「幸(さち)」と音が似ているのは偶然か。 「今」は常に「正念場」であり、「今」の下ではたらいている「心」が「念」、つまり潜在意識のことか。 「念仏まふさんとおもひたつこゝろ」(歎異抄第一条)であろう。

          聖霊は素敵だ

          「向かうところ敵なし」な人は、反面、「向かうところ素敵なし」なのかもしれない。 意識は、その対性が潜在化することによって、あたかも単独で成立し、また存続しているかのように感じられている。 つまり意識は常に「見えない(素)敵」に支えられている。 かつて、「ぜいたくは敵だ」という標語へのパロディとして、「ぜいたくは素敵だ」というものがあった。 どちらも「敵」であることには変わりがない。 ぜいたくとは「(素)敵」なものだ。 むき出しになった「敵」は、とても「素敵」だ。

          聖霊は素敵だ

          人として一人一人と関わると、確かに「最近の若い人」「頑固な大人」という感じではない、というのは分かる一方、しかし世代間の差は感じるしなあと思いましたが、たぶんそれ、相手の意識へのフォーカスが内惑星かトランスサタニアンかの違いですね。 https://www.lettuceclub.net/news/article/1197729/

          人として一人一人と関わると、確かに「最近の若い人」「頑固な大人」という感じではない、というのは分かる一方、しかし世代間の差は感じるしなあと思いましたが、たぶんそれ、相手の意識へのフォーカスが内惑星かトランスサタニアンかの違いですね。 https://www.lettuceclub.net/news/article/1197729/

          トラウマ状況を「裏読み」する

          具体的なことはプライバシーにかかわるので控えますが、どうしても折り合いのつかない人から立て続けに届く、嫌がらせとしか思えないメッセージに関して、これ、つまり、もうその人とは関わらない方がいいと、その人ご自身がこちらに伝えてきているようなものだと、ふと感じたんですね。 つまり、直接間接の嫌がらせは、その人が「あなたはもう私と関わらなくてもいい」とか「あなたは私に関わらず自分の道を生きるべきだ」とか、といったようにその人自身が伝えてきているようなものだ、ということです。 もち

          トラウマ状況を「裏読み」する

          スピリチュアルは結局、「大人になろう」の一言に集約されるようだ。 奇跡講座が嫌われるのは、このことにいきなり直面させられるからなのだろう。 ただし現世のイエスは人としては未熟だったため、奇跡講座の学習実践は「青春病院」の様を呈する。 また、OCOTは「霊的童貞」の域を出ていない。

          スピリチュアルは結局、「大人になろう」の一言に集約されるようだ。 奇跡講座が嫌われるのは、このことにいきなり直面させられるからなのだろう。 ただし現世のイエスは人としては未熟だったため、奇跡講座の学習実践は「青春病院」の様を呈する。 また、OCOTは「霊的童貞」の域を出ていない。