仏教の八正道の中の「正念」の「念」とは、元の言葉は「sati」なんだけど、これが「幸(さち)」と音が似ているのは偶然か。
「今」は常に「正念場」であり、「今」の下ではたらいている「心」が「念」、つまり潜在意識のことか。
「念仏まふさんとおもひたつこゝろ」(歎異抄第一条)であろう。

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