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聖霊は素敵だ

「向かうところ敵なし」な人は、反面、「向かうところ素敵なし」なのかもしれない。

意識は、その対性が潜在化することによって、あたかも単独で成立し、また存続しているかのように感じられている。

つまり意識は常に「見えない(素)敵」に支えられている。

かつて、「ぜいたくは敵だ」という標語へのパロディとして、「ぜいたくは素敵だ」というものがあった。

どちらも「敵」であることには変わりがない。

ぜいたくとは「(素)敵」なものだ。

むき出しになった「敵」は、とても「素敵」だ。

「敵」には「かなう(敵う)」という意味もある。

地上における最も神聖な場所とは、往古の憎悪が現在の愛となった場所である。

T-26.IX.6:1

これは日本語に翻訳すると、こういうことであろう。

「あなた」はとても「素敵」だ。

ふうの勝手訳

というわけで(どういうわけで?)、聖霊は素敵だというのは、聖霊とは「他者なるもの」を表象しているからです、はいm(_ _)m

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