聖霊は素敵だ
「向かうところ敵なし」な人は、反面、「向かうところ素敵なし」なのかもしれない。
意識は、その対性が潜在化することによって、あたかも単独で成立し、また存続しているかのように感じられている。
つまり意識は常に「見えない(素)敵」に支えられている。
かつて、「ぜいたくは敵だ」という標語へのパロディとして、「ぜいたくは素敵だ」というものがあった。
どちらも「敵」であることには変わりがない。
ぜいたくとは「(素)敵」なものだ。
むき出しになった「敵」は、とても「素敵」だ。
「敵」には「かなう(敵う)」という意味もある。
これは日本語に翻訳すると、こういうことであろう。
というわけで(どういうわけで?)、聖霊は素敵だというのは、聖霊とは「他者なるもの」を表象しているからです、はいm(_ _)m
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