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【死の対義語】

死んではいけない理由は何か?生きるに値して繋ぎ止めるものは何か?

きっと人は生きる以上、死んでしまう以上コレにのしかかられてまんじりともできない夜を経験する。自分の今回の本義は、死にたい夜という内向的でシックな悩みに寄り添うものではなく、死の対抗馬、ある意味の対義語は何かということである。
先に言う。自分の考えでは「想像力」だ。
この場合の「死の対義語」というのは、ヒーローに対するヴィラン、ご飯に対するパン、巨人に対する阪神である。いきおい、死の反対ッ側にあるのは「生」だろうと言われる。自分はそこを否定して、死を食い止めるべきものとして「想像力」だと考えている。

説明しよう!(なるたけPOPに)

まずは死の対抗馬が生きる事でないことについて。これに関しては割と耳にした事がある、考えたことがある人もいるのではないだろうか。人生が大小数十年の期間を表すとすれば、死は一瞬間の出来事だと言える。時間幅のみで対比したいならば「誕生」などが死の裏側におけそうだ。生きることが苦しくて、生きるのを辞めたくなって死んでしまう人、死んでないだけで希死念慮を抱きしめている人、きっと現代、このパンクな女を抱いたことの無い人はいない。どうしても、生きるのが辛い▶︎死ぬ の表裏の距離感を見誤ってしまうことがある。生きるのが辛いことは死にたいとは全く違う。希死念慮の一億穴兄妹(下品すぎるかも)、その中で「今生きているのが辛い」ではなくて真に「死ぬことを欲してしかたない」と思っている人は何割だろうか。もしもお金などの散文的な事情を脇において、トトロを抱いて森の中で暮らしていいよという選択肢を与えられたらきっと希死念慮なんか捨てて抱く相手を乗り換えるだろうし、人身事故の数はきっと減るだろうし、錠剤の流通も減って、鉄道会社は喜んで製薬会社は肩を落とすことだろう。薬局で働くマスクの似合うお姉さんの数もやんわり減って、いくつかの坊主の恋も生まれていないかもしれない。

要するに、タフに生きることの逆は死ぬことでは無い。重たいバーベルを下ろすことは、リフティングの一連の流れのワンステップである。例えば重りをより軽いのに変えればいいし、腕を振り回して全速力で走ることが辛ければビタっと立ち止まることが全てでは無い。ジョグしたり横のレーンの人に話しかけたり、ヘッドフォンをつけてチャリを乗りこなしてやったっていいのだから。

想像力(イマジネーション)

特にここから明るい話はでてこない。評論調でも、無いかもしれない。
自分が死なないでいる理由、他人を殺さないでいる制止力はなんだろうか。前者は泣く親や友達の顔が浮かぶから。(葬儀以降、何十年分のグレーまで浮かぶから)後者は知らない老いた女性の萎れた顔、あるいは知らない老いた烈火みたいな、自分に向けられた顔、「殺人犯の親」の看板を首から提げた親のこれまた何十年のブラックが浮かぶからである。あとタイホ。どちらもその場で「想像力」が働いていると言える。
また、コロナ禍の入口だった2020年3月、何だか不穏な感じだけがして、まだ皆がコロナウイルスという異物を感知できていなかった頃、志村けんは死んだ。日本人の笑いの象徴だった人は亡くなってみな一律にコロナウイルスの恐ろしさを芯で捉えた。(大切なものは、失ってから。)この時、なんで志村けんが…!と思った人は少なくない。これに対して、「他の人が死んでたら良かったのか?」と返す人も、少なくない。命に貴賎はないという綺麗事を覆す訳にも行かずうまく反駁も返せず「そういう訳じゃないけども」とだけ。
ここで、「想像力」を持ち出してみる。命に貴賎はない。この上で、やはり志村けんもしくは鳥山明の喪失は、例えばほかの1人の喪失とイコールでは無い。それはきっと、人間誰しも持つ1個の死に対して働くグリーフの量が異なって、即ち伴う「想像力」が世界までに広がりうる大きさであるからだ。

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なんだか話がちらかってきた。ずっと重たい話ばかりで疲れてきた。人はいずれ死ぬのだし、南海トラフという死の悪魔みたいな言葉は頻繁にTwitterのトレンドに上がって、メメント・モリ(死を忘れるな)を促す。
幼い時は、ずっとずっと死ぬのが怖かった。寝る前に津波が全部を流していく映像が毎晩流れて眠れなかった。この映像のカセットテープのスタートボタンを押す犯人が憎くてしょうがなかった。
もし地震が起こったときにはヘリコプターで飛べばいいと思ったし、ヘリ無しで自分が空をとべたら死なないのにと本気で思っていた。少年漫画に出てくるキャラクターたちは、災害が起こってもきっと死なない。ギャグ風に乗り切るスターもいるだろうし、津波を消し飛ばせる膂力だって羨ましかった。少年漫画を読みすぎた僕はそんな輝いた”最強性”を本気で欲しがった。死にたくなかったから。
今ではその憧憬も幼心のものと整理出来ている。
今は細々と生きていける、弱い種火を、それだけを守れる力が欲しいと願う。その力は無いので眠る前に明日も火がついていればと願う。枕元に中華一の大将軍王騎のフィギュアを置いているので、死にも怯えることは少なくなった。換気扇みたいに、大鉾で毎晩の黒靄を薙ぎ払ってくれている。(その王騎将軍は、死んだ。)

もう散文的で、Nの部屋みたいな、強い言葉だけがいくつもあるジャンキーな文章になってきた。シックな悩みは寄り添わないんじゃなかったか。パンっと自作の短歌で〆ます。アウトロ。

龍がもし生きてるとして、死んだとして、
長い死体は落ちて ジャマになる

【流れ星の正体】

絵本の星空みたいな短歌です。お気に入り。
タイトルのBUMPの曲でも授けておきながら。


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