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善を疑え - 現代社会サバイバル

突然ですが、私は善人です。
……なーんていって信じるバカもいないよね?
というわけで、人類の知性を信じて話を進めようと思う。

善悪は移りゆくものだから、それを利用して自分に都合のいい善悪基準を決めようとする人たちがいるよ、という話を以前書いた。

たぶん誰も読んでないと思うので、後で目を通してもらえると嬉しい。

以前は具体的な対処法、勝手に誰かが善悪を決める世の中で生き残る術を書いていなかったので、今回まとめることにする。

人生は罵倒合戦か

政権も、野党も、テレビも、週刊誌も、企業も、いつもどこかで誰かを否定して自分を持ち上げる言説に力を入れている。見てわかっているだろう。
これは別に大人の汚さとか、社会の闇とかではない。

人間というのは、物心ついた時から他人を貶めて自分を持ち上げようとする、欲望丸出しの生き物だからだ。

もちろん、成長するにつれ欲望をおおい隠す技術を身につけ、我慢や遠慮といった人間的社会性を身につける。
欲望を抑える方がリターンが大きく、欲望を前面に出すと失うものがある、ということを学ぶからだね。
なんで我慢できないの!」という叱責は子供にこのことを「しつける」意味あいのものだ。
余談だが、欲望を抑えることによるリターンを提示せず、子供から奪う一方だったらこうなる、という好例があるので、後ほどご一読いただきたい。

さて、ひとりの人間が様々な誘惑に打ち勝って、欲望を抑えられる、おおい隠せるように成長したとして、さらにたくさんの「ワナ」がまちかまえている。
今回のテーマでもある、善悪による人の格付けと、暴力による簒奪だ。
善悪による格付けとは、この世には善人と悪人がいて、善人は悪人より尊いという考え方だ。勧善懲悪と似ている。
暴力による簒奪については、加害経験と被害経験の両方が皆にある。これも善悪判断と密接に関わりがある。
ほとんどの場合、人におかしな行動をとらせるのは、これらの「ワナ」だ。

例えば、テレビで評論家(学者でもいい)A氏が「アベ総理ね、こらダメですよ。不誠実だし嘘をつく癖がある。奥さんにもいうこと聞かせられないじゃないですか。こんな人物を国政の場に推した有権者の神経をボカぁ疑いますね」と述べたとしよう。内容は適当に考えたが、仮に人格攻撃中心とした。
赤の他人に対する人格攻撃でしかない言説を、A氏が自らに許したのはなぜか?
A氏だって、暴力性の発露による収益は誰かの権利を侵害するのでよくない、と習いながら大人になったはずだ。
ここでA氏の認識を書き換えたのが、善悪による人の格付けだ。
まずA氏にとってアベは悪であり、自らは前である。最初からそう思っていたかは置いといて、発言の時点でそう決まっていた。
さらに一歩踏み込むと、アベが不誠実で嘘つきであることと妻の奇行、もっといえば支持者の存在が、何らかの理由でA氏への加害である、ということだ。
そのような感情をA氏は抱いた。普段からそう思っていたのか、発言の直前に組み立てたのか定かではない。

手段はなんでもいいが、暴力性を孕んだ行為を人間に対して行うには、よほどの暴力適性(しまむら土下座強要DQNレベル)を持っているか、よほどの道徳的根拠が必要だ。
暴力を許す道徳的根拠とは、相手が悪で自分が遥かに善であり、いますぐ悪を攻撃しなければ善の側に何らかの被害が生じる、という理屈だ。つまり道徳的根拠を持つものにとって攻撃は正当防衛なのだ。
日常的にそういう理屈をこねくり回してる人もいるし、瞬間的にカッとなって「そんな気がした」だけの人もいる。

あなたが第三者なら

争う二者を目の前にして、あなたはどちらかが正しく、どちらかが間違っていると考え、迷うだろう。人間てのは「どっちもどっち」で割り切れないもんだ。
他人事であればあるほど、二者に対して格付けをしようとする。
それは防衛本能によるものだ。
第三者であるあなたはいずれ巻き込まれる。その時には正しいものの側に味方しなければ、両者から攻撃を受ける恐れがあるのだ。
だから片方に味方してもう一方を叩くことで敵を減らそうとする。

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この場を切り抜けるために「どちらが正しいのか」が問われている。
あなたは自然と善人・正義に見える意見の方に傾きはじめる。
そこでがんばって理性を保ってもらいたい。
先日から繰り返している「善を疑え」だ。

善を疑うとは

「我こそは善なり」という主張を認めないということだ。
だから対抗する二者がいたとして、それぞれがお互いを否定し、時に誹謗するとして、それに付随する「だからこそ私たちの方が正しいんだ」という主張の部分を抜き出して検証しないといけない。
というか、基本的には誰だって自分が正しいと主張する。だから話の持っていき方で判断するしかない。
「相手が間違っている。だからそれを暴く私たちが正しい」というのが一例で、自分が正しいエビデンスを示していない。
「私たちは神の意思を伝えているのだから、それを否定する奴らは悪魔の手先ザマス」というパターンもある。
「私たちが被害者、敵は加害者、だから私たちの方が道徳的に優位に立っている」というのも多いか。
いずれも、検証しようという意図を悪だと断罪するので、疑った時点で火あぶり確定なのだ。すまないみんな、私のnoteを読んだせいで……

とにかく「我こそは善であり、従わぬものは火刑に処す」というのが、疑うべき、いや信じてはならない善だ。Twitter見てみ……又吉イエスみたいなこといってる連中が山ほどいるんだから。

カルトのはじまり

正義はカルトのはじまりだ。
より具体的にいえば、正義を棍棒代わりに、従わないものを片っ端から殴っていいという教えこそ、カルトがカルトたる所以の一つだ。ようは信者にあらずんば人にあらず、という教義があるかどうかだ。
この教義はどの分野にも波及していて、左翼に多いかと思ったら右翼にもいるし、社会学等の文系学者が唱えているかと思いきや物理学者が主張していたこともある。
ついでにいうと商売人にもわりといる。

現代社会サバイバル

「我こそは善であり、従わぬものは火刑に処す」を素早く見抜く能力は、これから一層必要となる。
もし「長い物には巻かれろというから」とこれらの一派に従ったら、さらなる地獄を見ることになる。

内ゲバだ。

人間というのはどうしても考えが100パーセント一致しないようにできているらしく、最初は足並み揃えて「我々こそは正義なり〜〜」と宣っていたのがいつの間にか少しずつ違う主張を見せはじめ、隣の信者同士で殴り合いをはじめる。正しくないものは焼くことになっているから、グループからはみ出るもの、抜けようとするものは全員焼かないと気が済まない。

あなたに必要なのは、考えが違って喧嘩しても「まあ、いっか」でお互い済ませられる集団を見つけることだ。
「そっかー反対かー、仕方ないな」といってくれる人々との出会いだ。

さあ、生き残ろう!

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筆者より
名古屋ならびに名古屋出身女性およびドアラに対して著しく侮辱的であるとのご指摘を頂いたため、一部の文章を削除し、安倍元総理夫妻に差し替えました。名古屋の皆さまにおかれましては多大なるご迷惑をおかけしましたことを心より謝罪申し上げます。


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