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ポリコレアフロは正義ポルノでありラッキースケベハーレム漫画として楽しめ

田村由美『ミステリと言う勿れ』について、正論でケチをつける皆さんの意見を見たので、私見をまとめました。

『ミステリと言う勿れ』

主人公の大学生、久能整(くのう ととのう)(以下アフロ)はある日突然殺人容疑をかけられる。アリバイも不十分、包丁という物的証拠もある中で、持ち前の知恵で警察の横暴捜査を撃退し、無実を証明する。
だがそれはアフロがトラブルに巻き込まれる日々の始まりだった。
アフロは優れた頭脳と好奇心、高い倫理観で次々と難題に立ち向かっていく——

みたいな内容なんです。
話題になっているのは、彼の高い倫理観と中立性が古い価値観と反発してしまうからで、正義の人であるアフロに反感を抱く者の姿が作品中にも描かれ、現実世界にも散見されます。あ、ここ皮肉です。


アフロの持つ最新の倫理観

独身若年男性だけど、未経験の結婚生活に口出しできるよ!

「幸せとは何か」その正体を大学生にして暴露して断罪するよ!

主人公の人生観というものが欠けているために、作者の意図がグイグイ入り込んで来てるんですが、もっとすごいのはこれです。

え、お前子育てしたことあるの?

まあ大学生くらいの頃ってこういう風に社会を上から目線で見ることはあるので、ある意味リアルかもしれません。

このように特定の倫理観に基づいて説教じみたつぶやきを漏らしては「おー言われてみればそうだ! お前すごいな!」と喝采を浴びて、主人公が素晴らしい! その元になった思想も素晴らしい! という特定の倫理観を共有する読者を快感でのたうち回らせる作品です。

「正しさ」は本当に正しいのか

僕は常々思ってるんですが、別に社会人として、学生として生きるなら目の前にある正しさを受け入れていれば、それで生きていけるんです。
でも、他人に説教するって正しさを力づくで押し付けるわけじゃないですか。
もしその正しさが独りよがりな間違ったものだったら、押し付けられた方はたまったもんじゃない。
だから、説教する時は少しだけ、自分の正しさを疑ってみたっていいんじゃないでしょうか。

あ、アフロ口調になってた。

ちなみにポリコレアフロという呼び名の元凶はどうやら以下のツイートらしく、邪悪なセンスを感じてしまうのですが、示すところは間違っていないと思います。

ここで言われているとおり、作中の善悪判断が特定の思想を賞賛するものであることは事実です。
つまり本当の意味で中立的ではなく、フィクションという形態をとることで「ある教え」を「固定された正義」として作品宇宙に広げているわけです。
これは別に特殊なことではなく、現実にはありえない頻度でラッキースケベが起こる「ToLOVEる」や、宇宙空間で効果音が鳴る「スターウォーズ」と同等のことです。

イキ過ぎた正義感→正義ポルノ

『ToLOVEる』の主人公、結城リトは現実世界では見ることがないラッキースケベ体質の持ち主です。と同時に、現実世界では見ることがないレベルの主人公的性格の持ち主でもあります。性格だけ見ればポリコレ的ただしさに満ちあふれています。

主人公の性格の「ただしさ」が賞賛され受け入れられる(受け入れない者を悪人として描く)という点で多くのフィクション作品は共通していますが、これはカスタマーである読者の欲望の戯画化としては正しいのです。

描かれる光景はいずれも「正義の主人公が悪党を打ち破る」形式が多いのですが、主人公の後ろにはたくさんの「高潔な市民」がいます。
これは読者の欲望(ただしさを賞賛されたい)を満たすためには、大勢の味方の存在を匂わせて「あなたは皆に認められるよ」と優しくささやきかける必要があるからです。

同じ正義を分かち合う主人公と「高潔な市民」を描くことには集団主義的な意味合いがあります。
集団主義の中でコミュニティを守る掟として、絆や和といった精神性への恭順が求められ、従わないものは排除されます。

この排除が行われる時、コミュニティが守られる安堵感とともに異端者を排斥する快感がやってきます。
その快感の存在は明治期の文芸などにも見て取れるので、少なくともここ数十年で日本人の価値観が変化したなどということはありません。

見出しで掲げた「正義ポルノ」とは、この異端者排斥に快感を以て受け手の劣情を煽りたてるものという意味です。

ラッキースケベハーレム漫画

現代人が求めてやまないハーレムもののあり方とは、別に大勢の異性から性的に求められることではありません。
10年代以降のハーレムものの特徴として、社会的な承認が得られることを恋愛や性愛と同等に重視する傾向が強まってきました。
Webサイト「小説家になろう」での流行を指す「なろう系小説」などから特にその傾向がうかがえます。

一時期「パーティーを追放された主人公が隠された能力を発揮し新しい仲間と活躍してチヤホヤされる」物語が流行しましたが、このチヤホヤしてくる相手が村の子供たちだったり冒険者仲間だったり老人たちだったりと、性愛の対象ではない者であることが増え、また多くの場合新しい場を与えられた主人公はかつてより高い地位を築いていくことになります。

こういった「今風のハーレムもの」のスタイルを取り入れ、アフロも行く先々の人々から賞賛を勝ち取っていくわけです。

では『ミステリと言う勿れ』におけるラッキースケベとは何か。
それは「他の誰も解決できないけど主人公が圧勝できる難題」が降って湧き、また「主人公に論破される程度の理論武装しかない偏見の持ち主」が次々現れることです。

ポリコレアフロを『美味しんぼ』に例える人も多くいます。

私見ですが、主人公が敗北する描写がある『美味しんぼ』の方が何倍も格上です。
美味しんぼにおいては「人格が優れていることとその人が生み出す財産の価値は一致しない」「人格が優れていることと優れた行動をとるか否かは一致しない」という、現実では当たり前のことが繰り返し描かれました。

むしろ近いのは「主人公=作者の心の中を描いているにもかかわらず現実を語っていると誤認させ、かつ主人公側が常に正義で勝利を約束されている」描写に終始するという点で『ゴーマニズム宣言』だと思います。

とはいえジャンルは『美味しんぼ』とも同じなので、例えに出す人がいるのも当然でしょう。


話を戻しますが、なぜか幸運にも自分に適した難問(難問ではない)が向こうからやってきて、それを仕方なく解決すると周囲からの賞賛(社会的承認)を得られる、という点で『美味しんぼ』や「なろう系小説」と共通していて、それは『ToLOVEる』などのラッキースケベハーレム漫画と異形同質なのです。


結局ケチつけてるだけじゃないか

ここまでで結論を出すとすればそうです。

ですが、まだまだ終わる気配のない長編漫画ですから、油断はできません。
田村由美って何十年もガチのSFとかファンタジーを描いてきた人なんですよ。
物語のためならポリコレなんか裏切りかねないんです。
第一こんなに主人公が成長しない物語って不自然ですからね。

僕は裏切り展開が怖い(期待してる)ので迂闊に今の評価を断定することはできません。

ですが、今のところは劇中に描かれる通りの物語を楽しめばよいと思います。
現代の作品ですから。
ポリコレラッキースケベハーレム漫画としてでも、正義ポルノとしてでも、教養としてでも。

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過剰摂取にはお気をつけて!

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