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(私じゃないけど)攻撃されてるんですー

ネットでもテレビでも、お怒りの方がたいへん多い。
また、他人を揶揄したり侮辱するスタイルでウケを取るテレビ番組やオンラインサロン、ブログやYouTubeチャンネルも多々見られる。

みなさんはどうだろうか?
釣られて怒りにかられることもあるだろうし、他人を笑いものにして気分が晴れるようなこともあるだろう。また、怒りの対象になった気がして萎縮してしまったり、笑いものにされてる気がして赤面したり頭に血が上ることもあるだろう。

今回はこの、自分がターゲットになった「気がする」現象について考えよう。

「そんな経験ないんだけど」という人もいるかもしれないので、残念ながらこの記事は読者を選んでしまうかもしれない。気にせずさらっと流してもらえたらそれでいい。

当然、自分がバカにされてるわけじゃないことはわかってる

そんな時に「今有名YouTuberの○○が視聴者稼ぎに煽ってバカにしてるのはあなたではないですよ」といわれたって余計にカッカきてしまうよね。
この不利益しかない現象、受け入れるしかないのか、防ぐべきか、どうやって納得するか、どうやって防ぐかまで大まかに考察してみよう。

侮辱とは、揶揄とは

https://www.weblio.jp/content/%E4%BE%AE%E8%BE%B1

[名](スル)相手を軽んじ、はずかしめること。見下して、名誉などを傷つけること。「侮辱を受ける」「他民族を侮辱する」

デジタル大辞泉

https://www.weblio.jp/content/%E6%8F%B6%E6%8F%84

対象をからかって面白おかしく扱うこと、皮肉めいた批判によって嘲笑的に扱うこと、といった意味で用いられる表現。「揶」も「揄」も共に「からかう」という字義の字である。
揶揄にも軽い「いじり」から痛烈な批判を込めた戯画化までさまざまな程度の扱いが含まれ得る。軽視、けなし、蔑視、嘲弄、愚弄、といった意味合いも多かれ少なかれ含まれる。「風刺」(諷刺)は社会を対象とする反骨の表出を指す場合が多いが、「揶揄」は社会に限らず、人物のちょっとした行動や容姿の珍妙さをからかうような意味でも多く用いられる。

デジタル大辞泉

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1331715

侮蔑(ぶべつ、英語:Insult)は、他者を侮り、蔑み、馬鹿にしたり、罵ったり、ないがしろにすること。侮蔑に使われる語句を侮蔑語という。侮蔑は、言葉や態度に現れるものに限らず、「彼の表現には侮蔑の意図があったのか」などの用法に見られるように、侮蔑感情を含めて考察・記述されなければならない。
(以下略)

Wikipedia

ざっとこのあたりを共有したところで、次は「何がいかんのか?」というのを統一しておきたい。
侮辱・侮蔑・揶揄・中傷、それらが侵すのは相手の社会的名誉だ。
どういうことかというと、侮辱的な言葉を浴びせられることにより、またそれが広く他者に知られることで社会的な地位や名誉が傷つき、信頼を損ねることになる。だからやってはならない、ということだ。
刑法の名誉毀損罪や侮辱罪などが、特に「公然性」と「外部的名誉の毀損」を原則としている。
今回のテーマは「他人がからかわれたり侮辱されている時に、まるで自分が同じ目にあっているような心の痛みを覚える現象」なので、公然と行われているものでなければ該当しない。

「何がいかんのか?」は上の通り。では、なぜ他人が侮辱されている時に私たちは「自分が侮辱されている錯覚」にとらわれるのか。
一説には「共感性羞恥」が原因であるとも。
https://coconala.com/blogs/516797/45368
(これは「共感的羞恥」をテレビで解説する際の訳語の違いと細かな説明漏れから生じた様子)
もとは心理学上の考え方だったのに、ネットやテレビのエセ科学に利用されてHSP関連の用語になってしまった。
発展形の「観察者羞恥」という概念があるんだけど、近年ではさらにそこから発展させた研究が行われている。
これについて書き出すとクッソ長くなるので割愛するが、まとめると「我々は誰かの『恥ずかしいような状況』を見て共感しているのではなく、勝手に『自分だったら恥ずかしい』と決めつけて羞恥を覚えている」ということだ。

私もこれが正しいと思う。

たとえばアメリカ海兵隊の新兵教育を見てほしい。
https://youtu.be/gWwULJvVmcM
4分すぎたころにはいい感じにノってきている。
新兵は泣きそうな顔になっているが、これは怖い顔をした教官に罵声を浴びせられて苦しいのだろうか? 萎縮しているのだろうか? ビビり散らしてるのだろうか?
実際には困惑してるだけだ。返事の仕方すら知らないからだ。彼らはこの数時間後には頭を丸刈りにされて、返事の仕方を教わる。
「腹の底から全力でイエスorノー」それに「サー」を付ける。
翌日には当初の泣きそうな顔などどこかへ消え去って、教官に負けてたまるかとばかりの大声で「イエス・サー!」と大口を開けて叫んでいる。
自衛隊や警察学校の経験がない多くの日本人から見ると、海兵隊のブートキャンプなんて怖くてチビりそうに思えるよね?
でも彼らは志願兵だ。好き好んでサンディエゴやパリスアイランドの地獄に飛び込んだんだ。だから映像を見ているあなたより勇敢な若者だ。
つまり、映像を見て「かわいそ〜」とか「こわーい」と思ったあなたは別に新兵たちに全然共感できてないってわけだ。

話が寄り道しすぎたけど、テレビの中でお笑い芸人に揶揄されてる一般人を見たり、YouTuberにオモチャにされる市民を見てあなたが腹をたてているのは、彼ら(被害者)の感情に共感しているのではない。勝手にあなたが腹をたててしまったんだ。

最初の方で「バカにされてるのはあなたじゃないですよ」というのを書いたがおぼえてるだろうか?
「そんなこたぁわかってるよ( ゚∀゚)o彡゜バーカバーカ!」と思っただろう。今はどうだろう? 意外にわかってなかった、ということに気づけたはずだ。

じゃあどうすればいいんだ

ということになる。
勘違いなのはわかっていても、脳が勝手に感情を引き出しているわけで、どうしようもないのか。
我々はこれからも、他人の境遇を勝手に察して勝手に一喜一憂するしかないのか。

おおむねその通りだ。地球にへばりついて生きる我々はニュータイプになれない。勝手な妄想で「共感性にすぐれたワタシ」を演出して泥沼にハマるしかないんだ。
終わり。

というわけにはいかないのでさらに続ける。

問題はやはり共感性だった

あなたは感じ取っている。
目の前で侮辱されているタレントや市民はあなただということを。
厳密には、あなたと同じ属性を持つ誰かであり、あなたはその属性が傷つけられることを恐れている。
男(女)であるあなた、○○県民であるあなた、○○主義であるあなた、○○教を信じるあなた、○○性癖を持つあなた、日本人であるあなた、それらの属性に対する攻撃を察知したんだ。だから警戒心が高まって当然だ。
警戒心が強く、細やかな神経を持つ人ほど、「叩かれている誰か」と「自分自身」の共通点を多く見つけ出すことだろう。
これは共感性羞恥だのHSPだのいうエセ心理学を持ち出すまでもない、あなたが生まれ持った動物的本能が正常に働いている証拠なんだ。

と、ここまで持ち上げておいてすまないが、だからどうしろということもない。
ただ、自分と同じ属性の誰かが攻撃を受けていることがわかっただけでしかない。攻撃した人が、暴力的であるとか、差別的であるとか、そういうオマケの情報も付いてくるが。

原始的な社会であれば、仲間が攻撃を受けたというのはとても優先度の高い情報だった。全員の生命にかかわるわけだから。
現代ではどうだろうか?
お笑い芸人やYouTuberをコミュニティの敵として戦う必要もないのが現代社会だ。
知らないよりはマシかな?

こたえ

まず設問はこうだ。
「受け入れるしかないのか、防ぐべきか、どうやって納得するか、どうやって防ぐか」

今回挙げた現象は人間の本能に由来するもので、受け入れるしかない。
それを納得させるには、先に書いたメカニズムをなんとなくイメージする、そして「自分の勘は攻撃者の○○を敵だと判断しているんだな」と、自分の心の動きを解読してやるのだ。
できれば「まあ、人間の勘なんて外れることも多いからな」と締めると、安心感があるのでおすすめだ。
これは気を楽にするおまじないだ。重大な決意をする時に「よし、やるぞ、ほどほどに」とつけたり、物事を断定する時に「しらんけど」とか「しょせん人間だし」とかつけると緊張がほぐれる。これはメンタルが弱い人は積極的に使った方がいいテクニックだから是非覚えてほしい。しらんけど。

テレビやネットでお怒り表明のみなさんはこれからますます元気になるだろう。ほら、季節の変わり目っておかしな人がふえるじゃないですか。
怒りの矛先になる人って誰でもいいんだけど、叩きやすい属性を持ってる方が望ましい。それってつまりテレビ業界やオンラインメディア、YouTuberやその他もろもろが「叩いてもいい属性」を決めてるってことで、その対象になった人は怒ってもいいんだ。だけど、まあ、怒らなさそうな人たちが選ばれてるよね、やっぱり。

とにかく今回は、自分じゃない誰かが侮辱されたり揶揄されている時にはなぜか自分が攻撃されている錯覚におちいる理由と対策を書いてみた。

世の中の多くのことには、はっきりした解決策がない。
世の中の多くの腐敗や歪みには、はっきりした原因(悪役)が存在しない。
すべて人の魂からフワフワと浮き上がってきた、曖昧なものの集まりに過ぎないからだ。
今回の件もまるっきり同じで、本能だの感情だの、そんなもの、どんな理屈を当てはめたって幻のようにいくらでも形を変えて逃げ去ってしまう。
もし今回書いた通りの出来事が起きて、腹が立って頭に血が上ったら、酒でも飲んでひっくり返って寝てればいいんだ。

今月も皆様のサポートのおかげで生活保護申請せずにすみました。心より御礼申し上げます。