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他山の石 室井佑月氏の発言

Twitterでトレンドに入っていたので、またかと思いながら開いてしまった。

室井佑月の理不尽な「永寿病院」批判 過去にはデマ発信で“詫び状”も

酒が抜けている時間帯にこういったニュースは不快ではあるが、そういう不快感やモヤモヤと戦うぐらいしか私の出番はないので、しばらく付き合って欲しい。

少し時間がたったニュースなので、何度か目にした人もいると思う。

とりあえず、情報を整理しよう。
・永寿総合病院で新型コロナ感染症のクラスターが発生したのは事実
・院長が会見を行い謝罪
・それに対して「美談を出してきて、すりかえっぽく感じる」「こんなにコロナの患者を出したことはまず責められるべき。反省すべきなんだよね」
・ネットの反応は彼女に対して激しく否定的

彼女の問題発言は今に始まったことではないので、もはや人格の問題だと考えてしまう人も多いだろう。気持ちはわかる。
だが、今回この件を「一部のおかしな人の失言」とみなすことも一種の思考停止ではないか。
なお過去の失言(?)については今回あえて無視する。問題が多すぎて見るに堪えないからだ。

発言だけを冷静に見よう。
冷静は大切だ。
まずは「美談を出してきて、すりかえっぽく感じる」という言葉。
これは院長が会見の際、看護師の手記などを発表したことに対してのものだった。
これはおおむね「自分が悪いのに言い訳がましい」ということだ。
もし彼女の家族親族が入院していて、クラスターによって感染、死亡していたら、彼女の発言に同意する人も多かったことだろう。
つまり「100パーセント間違いではないがなんの権利があってお前が言うのか」という怒りを抱いた人が多かったのだ。
次に「こんなにコロナの患者を出したことはまず責められるべき。反省すべきなんだよね」について。
字面だけ見たら賛同する人もいるかもしれない。
一応これは暴論だ。病院に著しい不手際があったとしても、責められるべきではない。法令違反があったら罰を受けるが、その他大勢に病院を責める権利はない。
あくまでも、そう思ってしまう人が出ても仕方ないね、という感情論として、小学生までなら許される発言だ。

今回に限った話ではないが、室井佑月の発言は「いいことを言った」つもりのものばかりだ。
作家という「訳もなく頭良さげに見られる肩書き」も一因かもしれないが、正義感の強さが大きな割合を占めるだろう。

漫画の話をしよう。
藤子・F・不二雄の「カイケツ小池さん」という短編がある。是非ググッてほしい。思わずひざを打つはずだ。
主人公小池さん(もじゃもじゃ頭でいつもラーメンをすすっているあの小池さんだ)はいつも怒っている。
道端でキャッチボールする少年を怒鳴りつけ、東京都章ワイセツなマークに見え都庁に電話する。仕事時間を活用して朝日新聞に怒りの投書をする。
近年ネットで目立つタイプの人だ。美濃部都知事の時代からこんな人はざらにいたのだ。
タバコ屋のおばさんがいう。
「ガーンと人をどなると、なんかこうじぶんがえらくなったような……」
小池さんは反論する。
「僕がイカリを感ずるのは世の不正に対してだ」
「僕の力はね、そりゃ小さいよ」
「でもその小さな力がだね、少しでも世をただし得たと感じた時、ぼかァ生きがいを感じるんだなァ」
このあと小池さんが、というか世の中が大変なことになるのだが、詳しくは検索して、出来れば読んでみてほしい。

人の役に立ちたい、より細かくいえば、人の役に立つ自分でいたい、という気持ちは多くの人が抱き得る。
しかしどんなことが役に立つのかについては、周囲とのすり合わせが必要なはずだ。
それができない人がやらかすのが、とりあえず自分の価値観に従わせて、なんとなくいいことをしたつもりになる、という行為だ。
これにハマってしまった人は、根拠のない善意、根拠のない正義感を、会う人会う人に押し付けて生きていくことしかできない。

室井佑月にしてもおそらくは憎まれ口を叩いているつもりなどないだろう。
世の中のフセイやギゼンをバシーっと叩き斬ってみんなが大喜びのはずなのに、なぜかたまに集団でイジワルされちゃうアタシカワイソウ……そんなところだろう。

正義感は決して不要ではないし、ほぼ全ての人間に備わっている。
だとすると室井佑月があゆむ道は、明日君たちがあゆむかもしれない道だ。私でもいつか堕ちてしまうかもしれない場所だ。

正義なき力は暴力なり、と過去の人はいった。
現代に生きる我々はもう一歩考えを進めたい。
正義であろうと暴力は暴力なのだ、と。

今月も皆様のサポートのおかげで生活保護申請せずにすみました。心より御礼申し上げます。