【オサムとアトムと 番外編】鉄腕アトムとデビルマン
*グロテスクな描写があります。ご注意下さい。
*「デビルマン」のラストについての言及があります
私は「鉄腕アトム」をリアルタイムで読んだ世代ではありません。単行本や復刻版で、初めて読みました。
アトムを読み始めた頃、古本屋さんで単行本を漁っているとこんなシーンを見つけました。
「青騎士」の一場面です。人間に危害を加える可能性のある「青騎士型ロボット」は分解されることになり、捕らえられたアトムの父親と母親が虐待されています。
この非道なシーンを読んでいると、「あれ、何だかこれ、観たことがあるような。」と既視感が・・・
・・・・これですね
これは「悪魔狩り」です。悪魔ではないかと疑わしい人物を拷問、虐殺しているのです。
アトムの場合は両親が、不動明の場合は、親身に面倒をみてくれていたおじさんとおばさんがこんな酷い仕打ちを受けたのです。
今まで「人間の味方」として闘ってきた、アトムやデビルマン・不動明の怒りも当然!
ところでもう一つ気になるのが、手塚治虫先生が描き出したこちらのお方です。
「地球最後の日」に出てくるベムです。宇宙人に造られた「爆弾」です。
ベムは最初、男の子の格好をして登場したのですが、本来は女の子のかたちなのでした。
で、こちらのお方のことを思い出しました。
ベムと同じく、頭に翼のあるこの方を。
アトムとベムの関係性は、デビルマン・不動明と、サタン・飛鳥了との関係にそっくりです。
「地球最後の日」は1964年、「青騎士」は1965年に描かれました。
「デビルマン」は、1972~73年に描かれた作品です。
この類似性については、どう考えたらいいのでしょうか。
勿論「パクリ」と呼ばれるようなものとはまるで違いますよね。
庵野秀明監督は「エヴァンゲリオン」について、「永井豪テイストはもう完全に入っているでしょう。拭うことができない。『デビルマン』のインパクトが否定できなくなっている。それを否定してしまえば、自分の人生が根底からひっくりかえってしまう気がする。」
「結局『デビルマン』から離れないと思うんですよ。でもしようがない。」と語り、「デビルマン」からの強い影響を、はっきりと述べています。
また、吉野朔美先生は、知らず知らずの内に、自分の作品の中に他人の作品を取り込んでしまっていた事があるようです。
エッセイ漫画に描いてあるのですが、ある時、漱石の小説を読んでいて、「あっ オリジナルだと思っていたネタが・・・」と気が付きます。
おそらく、「いたいけな瞳」第四巻の「月の桂」でしょう。夏目漱石の「夢十夜」の「第三夜」を思わせる描写が出てきます。
下のコマで落としていく本も「夢十夜」ですし・・・
(個人的に、両方ともかなり好きな作品です。)
今までの作品から影響を受け、インスパイアされて、新しいモノを産み出す。創作とはそういう面も持っているものなのでしょう。
永井豪先生は、次の様に描いています。
永井先生にとって「デビルマン」を描くのは相当に苦しいものだったようです。同じ時期の作品「マジンガーZ」は、描くのがとても楽だったそうですが。
苦しみながら「デビルマン」を描いているときに、思わず知らずかつて愛読した「鉄腕アトム」の影響が滲み出てしまったのでしょうか。
しかししかし、「あの鉄腕アトム」からインスパイアされて、「あのデビルマン」を産み出すなんて、常人ワザではないでしょう。永井先生は天才だと思います。
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