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わたしの枠はない *HSP

ある人に
「あなたにとっての愛はなんですか」
と聞かれ、
わたしは
「奉仕」と答えました。

その対象物に対して見返りもお礼も期待せず
ただ自分の力を尽くすことそのものに
喜びを感じられる。
そのことに感謝して自分のエネルギーが充電される

そのように伝えたところ、
奉仕は=すり減るもの
との考えを聞き、
また更にわたしも考えることができました。

奉仕が誰かに何かを与えるという行為なら
その代償になにかを失う(すり減る)
という考え。
確かにそうなのかもしれない。

自分の力を尽くすということは
自分の時間と心を使っているので
それは失うと感じる人もいるのか。。

とても不思議な感覚になりました。
わたしは愛ゆえ力を尽くすことは
なにもすり減ることはなく
それどころか自分の心の充足に繋がります。

ただ、愛のない対象物に対して
自分の時間や労力を費やすのは
それを代償と感じるかもしれません。。

無償の愛というから
無償じゃない愛も存在することになるけど
わたしの中で愛と定義するものは
無償です。
そして無償でなければ愛と呼ばない
そんなこだわりを感じる機会でもありました。

誰かに何かを与えられたとして
それに見返りを期待するのは
結局のところ自分への愛となるので
自己愛だと思ってしまいます。
他のものに向けた愛と定義するとなると
無償の愛でなければ愛と呼べないのではないかと。。

頭がゴチャゴチャとしました。

そして最近感じるのは
自分の感覚は当然ながら
人とは違うということ。

人は誰も違うけれど
あまりにも一般的な感覚を持ち合わせていない
と実感する機会に出会うことが多く
それゆえ、自分も理解されないことが多いです。

その感覚で生きてないからな

そう思うことが多いです。

みなさんはそんなことはないですか😊

人はみんな違うものだけど
ある程度普通というものもあって
それに近い人たちが人類の中で多いから
それが普通と呼ばれ
一般的とか、そうでないとなるのかな。。

違うことはぜんぜん良いんです。
ただ時々なんらかの枠に
はめこみたがる人がいて、
その人の用意した枠にわたしに該当する選択肢がない時
その人にある枠の中で勝手にはめこまれ
決めつけられたりしてしまうので

それは少し苦しいと感じる今日この頃です☘️

今日も良い一日をお過ごしください***

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