デミロマな自分を心配してくれる親との付き合い方

世の中でマイナーとされるセクシュアリティーを持つ人が一度はぶつかるのが'親の心配'という名のプレッシャーだろう。

表題に心配 してくれる と書いたが、正直私にとってその心配は、自分は異常なのだと自覚させられる言葉の凶器でしかない。

とくにデマロマンティック、アセクシャル、ノンセクシュアルなどLGBTにも属さない人はこの悩みにぶつかることが多いのではないか。

実は、私は自分のセクシュアリティを母に打ち明けようとしたことがある。
いつまでも恋人ができない私を心配している母を安心させようとしたかったのかもしれないし、いや、恋人ができないことをバカにしてくる母にこれ以上自尊心を傷つけられないように自分を守りたかったのかもしれない。

"どうやら私は、普通とされるセクシュアリティじゃないようなの。深く知るまでその人のことを好きにならない。でも周りのみんなは私にとっては早すぎる時に人を好きになっているみたい。だから、なかなかタイミングが合わなくて恋に発展することは難しいみたいなの。"

必死に言葉を紡いだ私に母の返事は一言だった。

"じゃあ、女の子が好きってこと?"

普通のセクシュアリティじゃない=レズビアンでしかなかったのだ。

母親が自分のことを理解してくれないこと、理解しようとしてくれていないように感じることに涙が止まらなかった。

マジョリティの母にとって、最近その存在が大きくなってきたLGBT以外の人は想像すらつかない。人間は自分が属さない価値基準を想像することが本当に苦手なうえ、今ある枠組み以外の存在を認めるのは難しいのである。古代にインドで起こった0の発見のようなものであろうか。

こんなやりとりがあってから、私は母にわかってもらおうとすることを諦めるようになった。

恋人ができない私を価値がないとでもいうように、もっと男の子にアプローチしてみたら?などとアドバイスしてくる母に、自分の自尊心の居場所を求めないようにした。


私が分かってもらえない焦りや不安、怒りに折り合いをつけた方法はこうである。「自分の基準が世の中全員に当てはまることはなく、さらに他者の基準は想像することすら難しい。セクシュアリティのことに限らず、このことを自覚して日々の人間関係を見つめ直そう。自分はこのことを学べたのだ。」と考える。


人生で1人目に打ち明けた人の反応がこんな感じだったため、私は他の誰にも自分のセクシュアリティの話はしていない。いつか誰かに理解してもらえることはあるのだろうか。


願わくば、私の大好きな人が、私のまるごとを好きになる、なんて幸せな恋愛がしてみたい。

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