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美術館の役者たち

この前友人に「美術館に来てる人ってめっちゃ個性的な服装してたりするから、自分もちょっとは気合を入れていくんだ」というような話をしたら「人の服装に興味なんてあるの?美術館なのに?」と聞かれてしまった。

実際、展覧会に絵を見に行っているのは間違いないのだが、結構他人を盗み見ている時間もある。しかし、そのことが変わった趣味だとはついぞ思っていなかった。

美術館はたいてい作品保護のため温度が低いこともあって、機能性重視の服装の人も多いし、かくいう自分も色気のないモコモコの格好で歩いていたりするときもある。
が、その中でユニークな格好をした人を見つけると「しまった!やっぱりなんか仕込んでくりゃよかった」と思うのだ。

思い出される目に留まった格好といえば、高円寺で売ってる気がするサイケな柄のスカートだったり、70年代からずっと持っていたようなTシャツ。変わった形の痛々しいピアスやアシンメトリーな髪型。布を巻いた民族衣装のようなものや、きっちりとした和装。

なぜかその人からそこはかとなくあふれる自信のようなものにどうも惹かれてしまう。不思議な魅力を感じる。

まるで美術館の生き物みたいじゃないか。

美術館というのはひとつの装置であり舞台である。
そこに主役である「絵」や「作品」が飾られている。照明もムードがあってほのかに暗い。
そしてその中を歩き回る私たちは時には一種の登場人物=役者になっていたりする。

なかでも目立つ役者たちに私は惹かれてしまう。
その人達が美術館という場に色を添えているのを見ると胸が高鳴るのだ。美というモノに対してその人なりに向き合ってる何かを感じるからかもしれない。

そして私の目を惹きつけるのは衣装だけではない。

あなたは、絵を見ている人の横顔を見たことがあるだろうか。
あんまりじっと見ては失礼だから私もちょろっと見るだけだが、なんとも不思議な顔をしていることがある。眼は絵を見ているが、その視線の先は自分の心だ。そういう美しい横顔を何度も見た。この絵にたいそう興味があるんだろうなと思うとなぜか私までちょっと嬉しい。こう書いていると確かにこの趣味は奇妙な窃視者のソレみたいに思えてきたのだが。

それから、カップルで見に来ている人たちの関係を推測するのも非常に好きだ(やっぱりオカシイ趣味かもしれない)。
必要以上にこそこそと話している→これから親密になりたいカップルなのかな?
眼でもういくわよと会話している夫婦→積み重ねてきた時間を感じさせる
そんな眼でついつい人物を追ってしまう。

美術館という舞台で、いろいろな役者がそこかしこで小さな物語を描いている。
そう考えるとささやかな楽しみが増える。

衣装という点だけ取り上げても、想像してみてほしい。
印象派の展覧会の中で柔らかなシフォンのスカートが揺れる様を。モンドリアンの絵の前に三原色のシャツを着てる人がいたら舞台はどんな風に輝くだろう。

美術館の中の美しい人達に会いに行くのはひとつの楽しみになっている。
さて、今度のエゴン・シーレ展、さりげなくフォレストグリーンのマスカラとエメラルドグリーンのバックスキン風スカートで舞台の中の通行人として登場してみようか。



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