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私と馬鹿で魅力的なA

私の数少ない気が置けない友達に「A」というやつがいる。
中学生だった頃に同じ部活に入部したことからその関係は始まった。

家は学校を出てすぐの交差点から真反対の方向、中学生の頃は休日に常に一緒に遊んでいたわけではない。

性格もまったく違う。
ある同級生の女の子に対する認識を比べてみると、Aは「ぶりっこみたいな話し方でムカつく。」一方私は「ぶりっこというよりも、人と話すのがあまり得意ではなくぎこちなくなってるだけだよ。」と言う。
どうやら私は、人の目に着く部分をポジティブに捉えるようにしていて、Aはそのまま不快と捉えるふしがあるのだろう。

映画の趣味も違う。
AはMarvelやジブリなどのThe 映画を好む。
かくいう私は、シリーズものといったような括りでの好みはなく、具体例を挙げるとするならば、ブレードランナー2049やショーシャンクの空に、最近見た中では、好きにならずにいられないといった世界の危機を救うような、必ずしもハッピーエンドとして終わるようなものではなく、一人の人物の内面世界の機微を観察しながら見るような映画が好みである。

音楽の趣味も違う。
AはB’zや松任谷由実、0年代に流行ったロックバンドといった、言ったら悪いが父親からの受け売りのような音楽を好む。
私は流行のJPOPを聴くわけではなく、メジャー、インディーズ問わずラジオや動画配信サイトで自分の好みに刺さるバンドを探すことが多い。

彼は新しいものを試さずに自分にとって安定したものを好み、私は自分の積み上げてきたものを愛でながらも、変わっていく自分とそれに寄り添ってくれる宝物を探し続けている。

彼は自分が不変であると信じ、私は自分というものが未だよく理解できず考え続けている。

比べれば比べるほど、彼とは真逆な人種であることを痛感する。
そんな人間と何故だか今は、週に一回は家で映画を鑑賞したり、食事を食べに行く。昨日はしゃぶしゃぶを食べに行った。
正直もう話すこともなく、くだらない近況報告や昔話に勤しむに過ぎないのだが…
納車した新車を30分で擦ったり、好きな子におすすめされた漫画を次の日の仕事終わりに全巻(確か50巻位、約25,000円)買い占めたり、といったようなエピソードを聞かされる度に彼のことを嘲笑しつつも、やっぱりこいつのこと好きだなと再確認する日々がたまらなく愛おしいのである。

なにかオチを付けようと思うが何も思いつかない。
私もAもインフルエンサーでなければ金持ちでもない。お互い恋人もいない身で碌な人生じゃないと度々話している。
だがこんなゆるっとした関係がこれからもずっと続いて欲しいと思いながら、お誘いのLINEをまた来週あたりに送るのである。



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