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リンクスランドをめぐる冒険 Vol.60 重なる奇妙な偶然 Part.3

前回のあらすじ
偶然にも「19番ホールで軽く飲ればいつも心はあたたまる」の著者、リチャード・マッケンジー氏にインタビューできた後、日本語版の著書を渡したら感激してくれ、キャディマスター室に招待してくれた。当時45歳のライター、(昔の)キャディマスター室に招待された唯一の日本人となる。


当時の企画書やリンクス・トラストからの返信

コリドー街を歩いて

振り返ってみると、奇妙な偶然はもっと以前から、そもそもきっかけから始まっていた。

確か、コブシが咲いていたから4月に入った頃だ。
平日の昼間、新橋で仕事の打ち合わせをした後、いつもは1人で新橋の定食屋に入るのだが、その日に限ってたまには銀座で喰おう、と思い、コリドー街を歩いていた時だった(もちろん、当時のコリドー街は今のような風潮ではなく、一応、銀座らしく大人の集まる区域だった)。

「あれ?金子さん?」
その声の方を振り向くと、K君がいた。
といっても親密というわけではなく、K君は元相棒と一緒の編集プロダクションで働いていた。つまり知り合いの知り合いみたいなものだった。
その後、元相棒もK君もその編集プロダクションを止め、K君は銀座にある、私と
元相棒が懇意にしていた編集プロダクションに転職していた(どうやら、元相棒の紹介だったようだ)。
「おお、K君」
それからしばらく立ち話をしていたが、たいして親密ではないから話が持たない。腹も減っていたので退散しようとしたら、K君が言った。
「そーいえば金子さん、ゴルフ関連の仕事、しているんですって?」
「あれ?なんで知っているの?」
「杉さんから聞いたんです」
杉良太郎氏ではなく、元相棒の名字の一文字。
「じつは今、俺が担当している月刊誌で、セント・アンドリュースの特集をやってくれってクライアントから言われちゃって…俺はゴルフのことまったく分からないし、俺の知り合いのライターでもゴルフやっている人っていないんですよ…」

そりゃそうだろう。
ゴルフに限らずクラスマガジン、つまり特定のジャンルを書くライターは一般誌に書く機会はほとんどない。
逆に、一般誌で書くライターはクラスマガジンには向いていない。とくにスポーツ関連は。
その意味において、私はニッチな存在だった。
守備範囲が広い、と言えば聞こえはいいが,所詮は器用貧乏なのである。

K君の懇願顔、再び

「よかったら手伝おうか?」
K君の表情から憂いと、それに隠れていた意図的な懇願が消え、安堵と喜びが現れた。
「ホントですか!いや、じつはスケジュールが押し気味で困っていたんですよ!今、時間、大丈夫ですか?」
もちろん、嫌とは言えず空腹のまま拉致され、K君の編集プロダクションに連れていかれた。

彼の構成案は、ほぼ白紙同然だった。
私はその場で大まかなセント・アンドリュース取材の趣旨、骨子を組み立て、仮の構成案を作った。
「これを土台にすれば取材できると思うよ?」
K君はその構成案をしばらく見ていた。
あまりに無言だったので、気に入らなかったのかな?と思ったほどだ。
「金子さん…全部プロデュースしてもらっていいですか?」
彼は顔を上げると、また例の隠した懇願顔で言った。
月刊誌巻頭フルカラー20P。
相当な仕事量だ。

私は瞬時に自分のスケジュールをやりくりし、快く引き受けた。
もう、空腹のことはすっかり忘れていた。

今でも思う。

あの時、コリドー街でK君と出会わなかったら、と。

あの時の偶然が、すべての始まりだったのではないか、と。

偶然は存在せず、全ては必然である。
などとスピリチュアルな方向に持って行く話は大嫌いだ。
ある種の人間は、それを無遠慮に「運命」などと宣う。
そういう人種は必ず結末(あるいは過程)があって「運命」という言葉を
使う。

その手の訳知り顔の人種にはつい「先にそれを言ってみろ!」と叫びたくなる。

あの時、K君と出会ったから、今がある。
もし、K君と出会わなかったら別の私がここにいるかもしれないし、あるいはどのような過程になるか分からないけれど、同じような自分がいるかもしれない。

それだけのことだ。

仮定の話をするのは詮ないことだし、何が良かった悪かった、は偶然ではなく、その後に何をしたか、で決まる。

その上で。

私はあの時の偶然に感謝したい。
セント・アンドリュースの、スコットランドの魅力に出会い、私の人生を良い方向に変えてくれたのは間違いないのだから。

Play Will Continue!







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