ニートな吸血鬼は恋をする 第九章

「まさか、本当に治っているとはね……」

二日後。灯はなんと退院していた。それは他でもない。心素のなせる業だ。
灯の治っているというのは、ナイフによる刺し傷もあるが、今愛人が言ったのは心素不適合症――吸血鬼のことだ。

「……よかった」

今日は退院祝いも込めて、また二日ぶりに三人で集まった。
とはいえ、灯は病み上がりなので、レストランで話す程度だ。

「……これで神崎さんは健常者に戻ることができた。やっぱり君はただの吸血鬼ではなかったようだね。何者なんだ?」
「知らないわよ。昔から恋愛不適合者って診断されたことはあったけど、私自身、ずっと健常者として生きてきたから」

灯は吸血鬼ではなくなったのだ。
(……まぁ、いいことだ……)
灯の心素量は既に一般的な女子高生以上であり、レストランで愛人と軽く腕相撲をすると、あっさりと灯が勝利した。

「まぁいいや。本当に、よかった……!」

愛人は安堵の笑みを二人に向ける。

「……」

真紀は黙りこくっている。その理由は当然、灯だろう。

「……そうね」

灯はこの前のことを、いつ言い出すべきか迷っているようだ。

「……そう言えば、事件の方は、大丈夫なの……?」
「あぁ、今回はいろいろあったけど、被害者の子も一命をとりとめたみたいだし、犯人も犯行を認めているからね……僕のやることはもうないよ」

あの後、愛人は真紀と共にこの事件の収拾を図った。
録音の情報は勿論のこと、車を人力で破壊した真紀や、人質をとる犯人をその場で仕留めた愛人は警察内でもかなり高い評価を得られたようで、報酬も弾むらしい。
結果として死者も出ることなく迅速に解決できたので、全て上手く収まったと言えよう。

「……そう」

灯はそれを聞いて、顔を赤くしながらタイミングを伺っていた。
しばらく、三人の間に沈黙が流れた。
(……ふぅ)
愛人は灯を見て、ある覚悟を決める。

「……あのさ、帰る前に、ちょっと公園で話さない?」

愛人は近くの公園を指さした。

「え、えぇ……いいわよ……」
「ん……」

真紀は気付いていないが、灯は少し気まずさを感じていた。
何せこの公園は、灯が事件を起こした場所なのだから。
(……いや、むしろちょうどいいわ。……ここで、愛人に……!)
まだ直っていない街灯や遊具を見て、灯は目を細める。

「……で、話って何……?」

灯は居心地の悪さを感じながらも、愛人と話をしようとする。

「……僕の役目は終わりだ」

愛人は目を合わせずに告げた。

「君は健常者に戻った。友達もできた。……もう、観察役は終わりだ」

愛人が言いたかったのは、保護観察処分の終わり。もはや灯は健全な学生として更生できた。もう、観察役の役目は終わったのだ。既に愛人はそのことを、バインダーを通して警察に報告している。そして事件完全解決の認証も今朝、得られた。

「……そ、そう。それはよかったわ」

そう。それは喜ばしいことだ。しかし直後の言葉で、その意味は変わる。

「……うん。……だから、お別れだ」
「は……?」
「……」

訳が分からない灯と、悲しそうに俯く真紀。二人を無視して、愛人は話す。

「……元々、神崎さんと一緒に居たのは、神崎さんの心素不適合症を治せると思ったからだ。……それが解決した今、もう一緒にいる意味はない」
「な、何を言って……!?」
「本当はさ……僕は神崎さんが吸血鬼になっても、単なる後遺症として……さっさとこの仕事を終わらせても良かったんだ」

愛人の言うように、事件が発生して何か後遺症が残っても、それは観察役の責任になることはないし、心素不適合症も単なる後遺症として認識されるだろう。
つまり最初の二日程で、愛人はこの仕事を終わりにすることができたのだ。

「でも、僕の責任でもあるからね。それに……神崎さんは何故か血を飲まなかった……」

愛人は不思議に思っていたが、今ならその理由が分かる。

「神崎さんは分かっていたんだよね……? 自分の心素不適合症が治ることを」
「……」

普通、一度心素不適合症が発症したら、まず健常者には戻れない。
少なくとも愛人はそんな人を見たことがない。
前例のない灯の素性に興味はあったが、それ以上に愛人は灯から距離を取りたいと考えた。
このまま関係を続ければ、傷つけてしまうと考えたからだ。

「……まぁ、謎解きはともかく。これで神崎さんは完全に事件前の状態に戻ったんだ」
「……」
「だから、僕が関わる理由はもうない……」

愛人は最後まで灯と目を合わせることなく、歩き出す。

「じゃあ、元気でね」

そう言って、愛人は帰ろうとする。しかしその手を、灯は掴む。
(……ん……?)
愛人はそのとき、灯の握力に違和感を覚える。

「……何勝手に話を終わらせてんのよ……」

灯は肩を震わせながら、愛人の腕を引き寄せた。
(……こいつ……)

「……あのね。この際だからはっきり言うわ」

灯は愛人の腕を引いて、強引に目を合わせる。

「私は、あなたが好きよ……!」

灯はついに告白する。

「……あなたと出会ったときから、惹かれていたわ。あの夜出会えたことは運命だったと思う。私は……」

灯は顔を真っ赤にしながら、うるんだ瞳を愛人に向ける。

「ごめんなさい」

しかし愛人は、やはり目を合わせることなく灯の言葉を遮って告げた。
時が止まる。
まるで凍り付いたかのように、灯は言葉を失う。

「え?」

灯は理解が出来ずに、間抜けにも聞き返してしまう。

「ごめんね? 神崎さんとは付き合えない……もう、行くよ?」

しかし灯は愛人の腕を離さない。

「……手、放してくれない……?」
「い、嫌よ……まず、理由を教えなさい」

灯は泣きそうな顔を俯かせながら、強気な口調を辞めない。

「あなたが、嫌いだから」
「……」

愛人はわざとらしく大きくため息を吐いた。

「……もう、いいかな……?」

しかしそれでも灯は、手を離さない。

「なんで……?」

(……?)
愛人は灯の揺れ動く心素を感じ取る。

「私は、こんなにあなたを好きなのに……どうしてあなた達は、私から離れようとするの……!?」

(……!? やべぇ……!?)
急速に強まっていく灯の握力。
急いで腕を振りほどかなければ、折れてしまうことを愛人は直感する。

「私の何が嫌なの……!? ねぇ! 教えてよ!」

灯は涙でぐしゃぐしゃになった顔を愛人に向ける。

「っ……知っているでしょ。そもそも吸血鬼は恋愛が出来ないんだ……!」

その言葉を聞いて、灯の握力は弱まる。

「っ……!? そんなこと関係ない……! 私は……!」
「そんなこと? 吸血鬼の恋愛は法的に制限されているんだ。その理由を君は知らないんだろう? 僕はその理由をいやと言う程に身に染みて分かっているんだ」

愛人は冷静に責め立てる……つもりでいた。

「僕はね。何も後悔しちゃいないんだ……僕がしたことを……」

愛人は自分でも気付かぬ内に熱くなっていた。

「っ……!?」

初めて感情的な愛人を目にして、灯は気圧される。

「確かに僕はヒーローに憧れて恋愛警官になった。でも……僕は……僕の中には、正義感なんてものは一欠けらも無かった……!」
「……」

灯は絶句するしかない。愛人は人が傷つくこと自体に、何の呵責も感じない。頭ではいけないことだと分かっていても、最善を尽くして誰かが傷ついたのならそれはそういう運命なのだと、心が勝手に割り切ってしまう。

「この前の事件の被害者を知っているかい……? 後遺症が残っていたんだ。僕が勝手に手放したせいで、ずっと血圧が安定しないそうだ……それに、脳の方にも……」

それは確かに愛人の責任ではない。
しかし真っ当な倫理観と正義感を持つ者ならば、多少の責任を感じてしかるべきだ。
なのに、愛人はその少女に対して、何一つ罪悪感を持つことはなかった。

「……僕は生まれてこの方、誰かのために動いたことなんて一度だってない。いつだって……ヒーローに憧れた自己満足でしかなかった……!」

愛人は誰かのために動けない。だから誰かと一緒に幸せを掴むことなど、ありえない。

「……僕は神崎さんを幸せにできないんじゃない……」

そこで、愛人は初めて灯の目を見た。

「っ!?」

今まで愛人が猫を被っていたときには、知らなかった。
愛人の瞳は、濁っていた。健全な高校生の目ではない。精神異常者の目だ。
心素に飢えた恋愛不適合者の瞳。

「僕は決して……神崎さんを幸せにはしない」

再び、沈黙が流れる。
永遠にも思えたその沈黙は、愛人の行動によって崩される。
話は終わりだとばかりに、愛人は灯の腕を離そうとする。
既に灯の握力は無くなっており、愛人は震える灯の手を強引に振りほどく。

「さようなら」

愛人は再び目を背けながら、歩き始めた。

「……待って……」

灯はか細い声で、愛人を呼びかける。

「……」

愛人はそれを無視して、歩き続ける。

「待ってよっ!!」

灯の荒げた声で、愛人はようやく足を止める。

「……ごめん、なさい……」
「……何が……?」

灯は泣きながらも、とぼとぼと愛人に近づいていく。

「……私……あなたのこと何も分かっていなかった……! でも、私……これからは、ちゃんとあなたのこと見るようにするから……!」

それは今までの凛とした気品のある姿とは程遠い。
(ちっ……)
まるで親に縋りつく捨て子の様な、情けない姿だった。

「自己満足でもいいから! あなたの言うこと聞くわ! あなたに尽くすわ! あなたの為ならなんだっt――「あぁもう、うるっせぇなぁっっ!!!」――……え?」

愛人は振り向いて、吠えた。灯の足は止まる。

「うぜぇんだよ。てめぇ」
「あい、と……?」

愛人の本性に、灯は現実を受け入れられなくなる。

「くだらねぇんだよ、てめぇも……てめぇの色恋も! 何が運命だ、笑わせんな! 俺の嘘も見抜けねぇようなてめぇが、俺の何を知ってるっていうんだ!」
「っ……」

灯は絶句しながら愛人の暴言を聞き続ける。

「俺はな……そういうくだらねぇ色恋が大っ嫌いなんだよ……! 人を好きになったところで、そいつのことを知れる訳でも、そいつをものにできる訳でもねぇ。それどころか、ただ視野を狭めて、てめぇを盲目に変えるだけだ……!」
「……」
「そうやって、てめぇは今まで何度も失敗してきたんじゃねぇのか!? そうやって、てめぇは新堂司を傷つけたんだろうが! 全くくだらねぇよ……!」
「……」
「いいか? てめぇは俺を好きになんかなっちゃいねぇ……」

ピクリ、と灯はその言葉に反応する。

「っ……」

たとえ自分を貶されても、恋愛を馬鹿にされても構わない。
だが、自分の想いを否定されるのは許せない。
急激に灯の心素が暴走寸前まで高ぶっていく。

「てめぇはただ、誰かを好きになった自分に酔って――「ドンッッッッ」――……」

凄まじい二つの衝撃音が、公園に響き渡る。一つは灯が踏み込んだ足音。

「……真紀……ちゃ……」

そしてもう一つは、真紀が灯の腹を殴った音。
真紀は意識を失った灯を抱きかかえる。

「……ごめん。あかり」

愛人はその光景を、つまらなそうに眺める。

「……なんだよ。こっちはとっくにキレていたってのによ」

愛人はそう言って、ホルスターから手を離す。

「……大丈夫だよ……」
「……あ?」

そんな愛人を見て、真紀は小さく呟いた。

「二人は……大丈夫だから……」

真紀はそれだけ言うと、飛んだ。
恐らく、灯を送っていったのだろう。

「……ちっ……」

残された愛人は、後味の悪さに舌打ちしながら歩き始めた。

「……何が大丈夫、だよ」

愛人は愚痴を言いながらも、帰路に着いた。


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