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将来の夢

我が家の怪獣達にも
  それぞれに将来の夢があるようで。

『ロボットを作る』
『キャラクターを作りたい』
『プロ野球選手』
『獣医師(海)』

それはそれは壮大な夢を持っています。

みなさんは幼少期、
大人になったら何になりたいと
思っていましたか?

幼少期から夢に描いた事を
実現できた人もいれば
途中で変更して叶えた人
今だ夢に向かって頑張り続ける人
自分には無理だと諦めた人

大半の人は夢見半ばで
自分の現実を知り
妥協しつつ生きていくのでは
と私は思っているのですが
みなさんはどうでしょうか?

私は幼少期、

  『デザイナー』

 になりたいなあと思っていました。

母がワンピースや毛糸のパンツを作っくれていて
その作業風景がとっても好きで
出来上がると私に着せて
鏡の前でクルクルと回らせる。
その時母がみせる
優しく嬉しそうに笑う顔が大好きで
私も嬉しくなりました。

だから私はお洋服を作る人になりたいなあって。

少し大きくなると、
マンガにハマって絵を描く様になり

    『漫画家』

  になりたい。と思い始めて
お友達と、マンガを描き合いました。

もう少し大きくなると、ちょっとだけ浮気して
国語の授業や発表会でやる朗読の心地よさにハマり

    『NHKのお話の国の人』

          になりたいと思いました。

(コレは今子供達の読み聞かせに
       とっても役立っています。)

それから中学生になると
美術の先生に描いた絵をめちゃくちゃ褒められて…。

      『画家』

          ちょっとだけ思ったかな。

それからだんだんと家庭の貧しさを実感して

  『私、高校行かないで働くから。』

               という様になり

周りに説得されて通った高校では、
卒業後、『ちゃんと稼げる人』になる為に
必死に資格取得に励みました。
そうしたら、
勉強が楽しくなっちゃって。

人って楽しくなると忘れちゃうんですよね、
自分の置かれている現状を。

    『大学、行きたいな。』

母は、怒りながら泣いていました。
頼むから働いてって。

あれは、
いつまでも稼いでこないお金のかかる娘に
先の見通せない未来に憤りを感じていたのでしょうか
それとも、
娘の思い通りにさせてあげるどころか
働けと言わざるおえない自分の人生を嘆いていたのでしょうか
当時の私は前文だと思っていましたが
自分が母となった今は
あの涙と怒りは後文だったんだと理解できます。

こうして私は高校を卒業後、
小さなクリニックの事務職員になりました。

結婚しても続けられて食いパッグレのない、
定年まで永遠と稼ぐことのできる仕事を選びました。

あの頃みた『私の夢』達は
    今でも心のどこかに置いてあります。

 いつかまた私の夢達の出番が来る事を信じて


今日もお読みいただきありがとうございます。

                   感謝です。


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