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ギッシング『南イタリア周遊記』

英国人のイタリアへの憧れは、しばしば文学的な主題として語られる。エドワード・モーガン・フォースターの『天使も踏むを恐れるところ』という作品の中で、フォースターのイタリア観を大学時代に知って、イタリア熱とは何だろう、とずっと思ってきた。

それを解明するつもりで読んだ、アメリカの作家イーディス・ウォートンの『ローマ熱』は、内容のあてが外れた。そういうことではなく、2chスカッと話のような内容が、上手に書かれた短編だった。私の好きな短編のベスト3に入るウォートンの「ローマ熱」。イタリアへの憧れとはちょっと違う内容だけれども、素晴らしい作品です。

結局、イタリアへの憧れはわからなかったが、岡田温司氏の『フロイトのイタリア』、トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』、とにかくイタリア的なものへのまなざしについて、言葉にならないような何かがあるように思えた。

フランス作家や芸術家においては、19世紀スペインやエジプトといった南への憧れ、英国人やドイツ人にとってはイタリアといった南への憧れ、こういったものの根源について、それを翻案して考えるとどんなものになるのだろうと考えてきた。

そんな中ギッシングという19世紀後半の英国の作家のエッセイに『南イタリア周遊記』というものがあることを知った。イタリアの中でも「南イタリア」というところに惹かれ、購入した。

永らくヨーロッパの奇妙な小話を日本に翻案して紹介していた澁澤龍彦も、南イタリアも周遊した写真付きのエッセイを出版していた。これを、この文章を書くときにヘッダーにしようとして探したが出てこない。残念と、思いつつ、ギッシングを開いたが、19世紀末に至っても南イタリアはどちらかというと、かなり辺鄙なところという印象が強いようだった。

ギッシングにとってイタリアはローマ帝国の残影を愛でるところだったようだが、一方で、すでに英国には見られない地方的特性も兼ね備えていたようだ。

ナポリからパオラにカプリ島を経由しながら船で行き、そこから陸路でカラブリアに向かおうと宿を出発するときの風景である。

レオーネ旅館の前には、私を見送りにかなりの数の閑人が集まって来て、そのうちの五、六人ばかりは辛抱強い乞食だった。興味深い地元の衣裳が全然見られないのは残念だった。皆が着ているのは、ありきたりで趣きのない、すべてを破壊する現代風の衣服だ。

p.19

パオラの「地元の衣裳」とはどんなものだったのだろう。南イタリアは、千年単位でみると、ローマ、イスラム、北アフリカといった文明の影響を受けており、英国に比べればエキゾチックであったろう。そんな感じのものを期待していたのか。

ギッシングのエッセイに載せられている民族衣装のイラスト

私が朝食をとっている間、近くのバルコニーで二人の女が世間話をしていたが、その話しぶりはナポリのアクセントを奇妙に誇張したものだった。すべての文章は高い音に上がり、それから長いカーブを描いて落ちて来て、時には音楽的に尾を引き、普通は不景気に消えて行く。最後の一つか二つの単語を驚くほど長く伸ばすので、急に歌い出したのかと思う時が何度もあった。

p.19

カラブリア地方は南で地中海に近いのに、雪が案外降るという。へー、と思いつつ、そんな山岳地帯を馬車でギッシングは進む。時々、馬車をとめては風景を楽しんでいたりするので、御者は不機嫌になる。コゼンツァという内陸の街へ向かっている。西ゴート王国の王アラリック1世の墓があるという。そんなことをギッシングは知っていて、幻想の風景を楽しんでいる。

旅館には不満があったが、王の墓をみたくてたまらないギッシングは、その幻想を尋ねにいくも、途中で世俗的な風景に、幸福な白昼夢を妨げられる。

南イタリアの町どこでもそうだが、散髪屋の多さは驚くほどだ。看板として洗面器を出してある─ラ・マンチアの騎士がこわれた鉄兜の代りに使った、まさにあれ(輝く真鍮で、縁に三日月形の穴があいている)だ。

p.29

ギッシングは、自分の読んだテクストと現実を往還して遊ぶ癖があって、同じ気質を感じる。一方で、地元衣裳の観察を忘れないギッシングは、イラストもつけてくれている。また、生活用品の美しさを賛美し、便利だからと醜いもので我慢を強いられている英国人に対する批判は、ラスキンやアーツ・アンド・クラフツ運動の残響として聞こえる。

女たちはとても珍しい衣裳を身に着けていた。多くの刺繍を施した緋の短いペチコートの上に、青いスカートをはいているが、その正面を巻き上げて、腰の後ろで結び目のようなものを作っている。ヴェストには金属片と糸の飾りをつけてある。頭巾は手のこんだもので、きらきら輝いていて、裸足であった。

p.31
この衣裳かしらん

長年の間忍苦隷従の生活を続けて来たのに、このような美を必要としている民族は、立派なものに違いない。家庭用品─油入れや水さしなど─を、イギリスの労働者家庭のそれと比べてみるがいい。醜いものの間で安んじて生活し、醜いとも思わないのが民族の美徳である、などと果たして本当に言えるだろうか。

p.32


カタンツァーロにて

次はタラントだ。ウィキの音声ファイルで聞くと発音は「ターラント」のよう。

こんな感じで、ギッシングは書物で読んだ古代ローマの幻影を、19世紀末の南イタリアの風景の中に必死で観ようとしている。これは、民俗学的な目だともいえるし、ある種のロマン主義ともいえそうだ。

長靴のつま先レッジョにて

異郷の中に心のふるさとを見て、世俗の変化の速さや俗悪の横行に惑わされる心を休めようとしていたギッシングの心持ちが、今ならわかる。

知的好奇心と完全に釣り合いのとれた気分をつかみ、それを保持するというのは、実に得難い経験だ。少なくとも、思い通りの人生を過すことのできない人間、環境の苦しい圧力に絶えず脅かされている人間にとって、実に得難い経験なのだ。

p.185

ギッシングは、ペシミストだったのだろう。それでも南イタリアを周遊できるほどの地位と財力を持っていたわけだから、我がこととくらぶべくもない。19世紀末の大英帝国の一員の中では、それなりに苦労はあったかもしれないが、グローバルな視点から見ればギッシングもまた、それなりだったのだ。

ギッシングは、そういったことも、きっとわかっていただろう。結局は出口なんてどこにもない。

あたりは静まりかえり、私一人で波の打ち寄せる音を聞いていた。雲の冠をかぶったエトナ火山に夕闇が落ちかかり、ちかちか光る明かりがスキュラとカリプディスあたりから見えて来る。最後にイオニア海の方を眺めやる時、現在と現在の騒音をすべて忘れ、古代世界の静寂の中をいつまでもさまよい歩く運命に生まれればよかったのに、と願わずにはいられなかった。

p.186

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