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長い小説に挫折しなかった! ~カミュ『ペスト』~ 5

というわけで、挫折することを念頭に入れてタイトルを言い訳めいたものにしていたのですが、晴れて何とか読み切った!ということで、「長い小説に挫折しなかった!」とさせていただいております、はい。

48歳にしては幼稚な文章を、軽妙さと取り違えて居直っている私ではございますが、お読みいただきまことにありがとうございました。というわけで最終回となります『ペスト』。長かったなあ~寿命が五日縮みましたよ。

こう名作になりますと、もう感想自体も定型化してアウトプットせざるを得なくなるくらいに説得力が強くて、評価するにもアレコレいちゃもんつけるにもノーベル賞だろ?と、作者の名声の強さに押されてチャチャを入れるくらいしか余白がなくなっておるという感じです。

ただ、こうなるとやはりフランス語で、という気持ちが高まるわけですが、それはさすがに手に余る。日本語すらもうかなりの語彙が手から零れ落ちてしまっているくらいですから。お気持ちだけにとどめたいと思います。と、相も変わらずどうでもいいことをまくしたててしまいました。

第5章を記録する

『ペスト』第5章、話の流れのメモ 

第5章は、ペストの退潮が、人々にどんな影響を与えていったかということが客観的俯瞰的に描かれるお決まりのスタイルから始まる。ある意味で、この語り手は、このときは社会学者のようだ。そして、現在の日本においても、同じようにコロナが退潮しているかのように感じられているので、ちょうど現在進行形の出来事が書かれているといってもいいかもしれない。

まさにそれは、犯罪の露見がペスト禍において猶予されていたコタールを直撃した。人々は日常へ、コタールは牢屋という非日常へ。ペスト禍が収まることで分かたれる。コタールは、そのことについて神経質なほどだった。そして、実際に事情聴取されそうになってすんでのところで逃亡する。

タルーは、リウーの家に滞在していた(あれ、いつから?)。そして、手記によるとリウーの母と仲良くなっている。ん?ン?ここで三角関係が成立した?もちろんリウーは、病気で街の外にいる妻がおり、タルーはリウーの母と微妙にいい仲になっているのだから三角関係であるはずがない。けれども、第4章で一緒に海水浴したリウーは、タルーのことを愛し始めていたのではないか。タルーの短編的な手記を彼の遺品として保管して、それをテクストにしつつ、『ペスト』という記録を作り上げた。一方でそれは、リウーとタルーの友愛の物語としても読みうるように書かれているのではないのか。

リウーは、ペストにかかる。それをリウーの母は心配している。隔離しないでうちにおいてあげようと、リウーの母は言う。

「同じようにして、彼はタルーの傍らで暮してき、そしてタルーは今夜、二人の友情がほんとうに生きられる暇もなかったうちに、死んでしまったのだ。」(p.347)

この一節の前後には、この手記を書いたのがリウーであるとすれば、やや奇妙な印象の文章が並ぶ。その奇妙さは、要するに『ペスト』とはペストの記録であると同時に、リウーによるタルーとの友愛の痕跡を探り出そうとする試みではなかったかと。まあ、おそらくそういう読解もこれまでにあったのだろう。卑近すぎるゆえに、相手にされなかったのだろうが。

タルーは亡くなる。一方で、このオランからの脱出を熱望しながらふみとどまることにしたランベールは門が開いて、恋人と再会した。グランとともに唯一と言っていいハッピーエンドなのかもしれない。

そして、語り手がリウーであることが明かされる。というか、知ってた。ただ「個人的に彼がいいたかったこと、彼の期待とか試練とかいうことは、黙っていなければならなかった」し、「ペスト患者たちの何千という声に自分の打明け話を直接混じえたい誘惑を感じたとき、彼は、自分の苦しみの一つとして同時にほかの人々の苦しみでないものはなく、苦悩がじつにしばしば孤独であるような世界においてそれは一つの特典である、という考えによって引きとめられた」のである。やはりリウーには、主観的な語りを含みこみたい欲求があり、それはテクストのそこかしこの破れ目から顔を出しているはずなのだ。それがタルーへの愛?

そして、グランとともにコタールのところに行く途中、コタールは籠城し、警官と銃撃戦を行って逮捕されてしまった。おやおや。

そしてリウーは、こうした災禍はひとたび姿を隠すも、姿を隠したまま長らく生き延び、ふたたびまた芽吹くことがあると警告して話を締めている。

感想

なんでしょうね。この『ペスト』が50年以上前に書かれ、その際には寓話的な読まれ方をされていたにも関わらず、このコロナの時代において、極めて「よげんの書」的なリアリティを持って、国籍を超えて届いてしまった、という感想は、もう耳タコでしょう。でも、やっぱり、そう思います。訳者の方にも感謝。訳者の方は、今回の事態を経験して訳したわけではないのですから。にもかかわらず、この共感ぶり。偉業です、偉業。

登場人物たちの会話にある、形而上学的な対話。これに対しては、もう48歳ということで、若者たちに考察を任せたいと思います。私などは、やはり、もうそこに感度が届かない。すでに得てる文学史・思想史的知識が・・・とかではなくて、単純に頭が働かない、それだけです。

また、人々の生き方についての指針に関しては、子どもたちにはとりあえずリウーを軸に読んでもらいたいとは思います。リウーとパヌルー神父の考え方の対立については、大人だとまあどっちもわかるよね、みたいな発想になりがちだけど、どっちの意見も理解した上で、どちらをどの程度許容できるかという程度問題に移行していってほしいと思います。

リウーは、主人公の地位が与えられているので、今回は亡くなるという選択肢はなかったけれども、リウーだってペストで命を落とす可能性もあり、その可能性を考慮に入れながらリウーの発想をどう自分の中に落とし込んで、生かせるのかという道を君たちには考えてもらいたいとお父さんは思っています。

『ペスト』なんか、どこかで読むのかな。Youtubeに夢中になっている君たちは、もしかしたら手に取ることはないかもしれないけど、子どものときにコロナの時代を経験した君たちなら、名作が時代を超えるという事実を『ペスト』が示してくれるんじゃないかな。

まあ、でも、やっぱり、『ペスト』はリウーとタルーの友愛の物語ですね、と思う。いやー疲れた、次の長編はmana様(芦田だよ)が小6の時に読み切った『細雪』にしようかな。

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