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江國滋「旅に病んで 高山」(『阿呆旅行』所収)

今年は通学班の責任者のような立場を仰せつかっているので、朝、風雨のために遅刻するという連絡があるかを確認するために、LINEを開いた。すると、そこに、異物が上から落ちてきて、当たった。鳥のフンだった。

鳩のフンにはマイコプラズマがいるから触っちゃいけないと、何度も聞かされた。というのも、小学校3、4年の時の同級生が、上級生と鳩の死体を埋葬した直後に、熱を出し入院した事象があり、その時に先生が繰り返し力説していたからだ。

ただ、復帰してきた同級生は「溶連菌感染症」と自慢げに言っていて、マイコプラズマとの区別も分からなかったので、いずれにしても野鳥の死体には近づかないという格率だけが頭に残ったということである。

あれほどまで世間のいうことを聞かないつもりで生きてきた自分なのに、意外にこの種の合ってるかどうかもわからない教えを未だに思い出すので、幼少期に聞いた権威者の発言の根深さを思い知るのである。

そんなことが朝からいきなり起こるものだから、何を書きたかったのか、忘れてしまった。

そうそう、旅行に行きたかったのだ。

気ままに、誰にも邪魔されない、一人旅。

もちろん、それは空想でしかない。

ずいぶんと長い一人旅をしていた自分だもの、もう1人じゃなくてもいいでしょ、と思わなくもないが、おそらく一人旅は「全て意のままになる自由の享受」の比喩に過ぎないのだろう。

そんな折に、江國滋『阿呆旅行』を手に取る。

これは週刊新潮に連載された紀行文を集積したものとのことで、確かに並びに筋がない。なので、どこから読んでもいいし、どこで終わってもいい。

とりあえず私が行ったことのある飛騨高山のエッセイを読んでみよう。

江國さんは飛騨高山を訪れた際、少し具合が悪かった。なので見学といっても気分が乗らず、周囲の旅行者の身なりを見たり、民芸家具的なものを眺めたり、古い街並みを散策したりして、過ごしていた。

その中で、古いものと新しいものが混淆する町として悩みを聞いたり、古いものを生かすためには、観光客に向けて新しいアピールをしていかなければならないが、観光客が来ることで古さは毀損してしまうという矛盾を軽妙な文章で書いていく。

洒脱で大変に愉快なエッセイだが、飛騨高山という土地に対する執着が、風邪のせいなのか、あまり感じられずに書いているのが興味深かった。

確かに、なぜ飛騨高山なのか、という理由を突き詰めていくと、飛騨高山だから、というものしか残らない気がしている。古い町並みを観に行きたい、という場合、飛騨高山でなくともいい。いや、それには語弊があって、飛騨高山という空間に残る古い街並みを観に行きたいから、飛騨高山に行くのだ。つまり、飛騨高山という立地そのものに、魅力があるというわけだ。

峻険な山に囲まれた天領の面影を残す古い街並み。山岳地帯ならではの食文化。登山の拠点であり、盆地なんで決して涼しくはないにせよ、避暑も可。IT化によってコンパクトシティを実現するのなら、流通さえうまくいけば理想的ではないかと思われる地勢。

乗鞍、焼岳、穂高、槍、何、何、何。
そっちの方面に興味も知識もまったく持ち合わしていない私でさえ、名前だけは承知している。ただし、どれが槍やら穂高やら、識別はとんと不可能で、不可能でも一向にかまわない。どれがどれだかわからぬその山々が、雨にけむる静かな城下町をすっぽり包み込んで、薄暮の空にいまくろぐろと溶けはじめた。

NO.216

もちろん、金森藩から天領へとなった歴史も踏まえて、「城下町」と書いている。このエッセイが『小説新潮』誌に書かれた1970~1972年からは、すっかり街並みも変わってしまっているだろうが、それはそれ。このイメージが飛騨高山のイリュージョンであることは変わりない。

高山旅行回が面白いのは、当時行われていた国鉄のディスカバージャパン・キャンペーンの余波が、エッセイを通じて、感じ取れるからである。時は、『an・an』(平凡出版→マガジンハウス)や『non-no』(集英社)が刊行され、旅とファッションがと融合した企画が受け、それに影響されたファッショナブルなスタイルを「アンノン族」と呼んだ時代である。

「二十八、二十九」
健忘が小声で呟いた。昼すぎから散歩に出て、女性だけのグループ、もしくはひとり旅と思われる女の子とすれちがうたびに指折りかぞえて、あと一人で三十人。みんな申し合せたように、姿かたちが同じパターンである。ブラウスに毛糸の胴着(ベスト)にブルージン。あるいはパンタロンをはいて、長袖シャツの上にどういうわけか半袖セーター。だいたいこの二つのバリエーションである。

No.218

もちろん、江國さんだって、観光パンフレットに沿って、話を進めている。山、古い街並み、食文化、民芸家具、裏町の風景など。その間に挟まる、ちょっとしたエピソードが、心憎い。

私が、飛騨高山に行ったとき、朝市、陣屋、古い街並み、飛騨牛といった定番の観光地を回り、ちょうど鈴木光司『リング』が流行っていたので、講演の中のプレハブにあった福来博士記念館を訪れた。超能力が好きで、念写などの写真が証拠として提示されているのが、面白かった(なんかとてもぬるい感想ですね)。今は、移転してしまって、もとあった場所は「閉業」とあるので注意してほしい。

この旅行記、取材旅行であることを隠さず、同行している「健忘」さんなども登場し、江國さんとあれこれボケツッコミをするところなど、『水曜どうでしょう』などで放映されていた旅行企画のようで楽しい。要するに、TVの旅行企画のような楽しさが、このエッセイ集には詰まっている。

そのうちお前も1人になるから、と同僚には言われ、「今時、贅沢な悩みだぞ、それは」とたしなめられた。そして「周りに人がいるから、そんな贅沢な希望が出るので、1人になってごらんよ、寂しくて誰かと一緒にいたくなるよ」と諭された。

そうかもしれない。

今日を大事に生きるしかないか。


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