孝が勧める秀雄「人形」 ~齋藤孝の研究 5~

先日、言及した『読書力』の巻末100冊のリストの中に、小林秀雄の『考えるヒント』があり、それについて孝は「⑥「人形」は必読」と書いていた。「人形って、そんなエッセイあったっけ」と思った。

太宰治の文庫本を探して、本を右から左に置きなおしていたら、たいそう古い『考えるヒント』が出てきた。もう、表紙もガサガサで、紙も変色している。いつ買ったのだろう。高校生のときかもしれない。高校生のときに、古本屋で買った、というのがまあ、当たらずとも遠からずの記憶として、間違いないと思う。

前に書いたものなのだけれども、高校の国語の先生は、小林秀雄の大ファンで、そのせいか自分で能も舞うし、若いころに小林秀雄に会いに行ったら、スイカでも食っとけと、一緒にスイカを食べた経験を自慢げに話すこともあった。

だから、小林秀雄の文庫本を所望したのだろう。けれども1990~1993年は、街の小さな書店には、小林秀雄の文庫本は置いていなかった、と思う。『本居宣長』もなかったし、『近代絵画』や『ドストエフスキイの生活』もなかったんじゃないか。ちなみに、『ドストエフスキイの生活』は、出張で行った名古屋のビジネスホテルに、文庫本コーナーがあり、近くのブックオフで購入した柳井正の『一勝九敗』の文庫本を早々に読み終わってしまったので、『ドストエフスキイの生活』と交換した記憶が残っている。

柳井さん、すみません。

それはともかく、小汚い『考えるヒント』の中に「人形」を探した。あった。文庫本で見開きで終わる程度の分量である。

ある日の食堂車で飯を食っていたら、老夫婦が相席になった。老夫婦の妻の方は何かを抱いており、それは人形だった。人形を赤ちゃんのように抱きながら、食事をしようとしている。

人形の帽子が落ちた。明らかに人形である。夫は、その帽子を拾い上げ、人形につけてやっていた。その動きは、曇りがなかった。秀雄も、夫婦に合わせて、食事をしていた。

そこに女学生が来た。秀雄が女学生を見ていたら、女学生は一瞬で事を悟ったらしく、秀雄と同様に、人形が赤ちゃんであるかのように振舞い出した。

けれども秀雄は、妻の動きを見ていて、妻はすでに正気に戻っているのではないか、と考えた。正気に戻っているが、正気でないふりをして、それがもう身についてしまったのではないか、と考えたそうだ。

そして、あのとき誰かが、それは人形です、と言ったらどうだっただろう、と夢想する、と締めた。

つたない要約である。『考えるヒント』の小林秀雄の文章は、この要約以上のものがある。引用してもよかったが、読者がどこかで本文に出会うこともあろう、ということで控えた。

孝は、どうして、このエッセイを「必読」と言ったのだろう。

非合理な取り決めであっても、皆がそれを「かのように」受け入れれば、拘束力を持ってしまう、という事態の謂いとして、参考になるとでもいうのだろうか。それとも、その場に合わせる非言語的コミュニケーションの力、というものの例として学んでほしいというのだろうか。「裸の王様」のバリエーションとして、ありふれたもののように感じるが如何。

小林秀雄はそもそも空気を読まずに、それを指摘し、壊す形での批評を最初の頃、よくしていた。孝は、どちらかというと、「かのように」の力を、うまく利用することが重要という主張を持っていたような気がする。それは、付和雷同せよ、とか、同調圧力に身をゆだねよう、とか、そういうことではなかったけれども、日本的な力を転覆させようとする不埒な意志はなかったのではないか。

そんな孝が、秀雄の「人形」を「必読」と勧める。これはなかなか謎である。単純に、子どもを失った母の悲しみが、この「かのように」の行動に集約されていて、そこを泣け、というメッセージにも読み取れるがどうだろう。孝は、そこまで素朴な人ではないだろう。

ただ、孝には、小説作品を主張に合わせようとしすぎるあまりに、微妙なところを端折って伝える癖がある。

中島敦に『名人伝』という弓の名人の話がある。あまりに弓に熟達した人間が最後には弓を使わずに鳥を落とすところまで達するという話だ。まさに、教師がいなくとも優れた学習が進むという場を作り上げた教師こそ、弓を使わず鳥を落とす名人レベルであるといえる。

岩波新書赤『教育力』p.18

ん?と私は思った。

ただ、孝の教育論の根本は「あこがれにあこがれる関係づくり」にある。

これは《欲望は他人の欲望を欲望すること》である、というルネ・ジラールや作田啓一が良く使っていた欲望論の構造とほぼ一致している。買い物しているだれかの欲望を模倣することで、買い物したくなるというメカニズムとして、よく説明される。モノが欲望を喚起するのではなく、モノを欲している人の満足充足のありように、人は欲望を喚起されるというのである。人の恋人を取る人が、取ったらすぐに飽きて捨ててしまう、ということに、しばしばなぞらえられる。

だから、孝の教育論は、教師が学んでいるそのベクトルに、生徒が感化されてやるようになる、という構造をとる。これは、内田樹の『先生は偉い』と同じ趣旨である。その際の教師が重要なのは、頭の中にある知識ではなく、身体のありようだというのが孝の教育=身体論である。

身体はその場に感覚的に応答し、最善の行為の方へ人を導く。教育=身体が大勢をしめた教室に入ることで、生徒は学ぶ態勢に身体が応答する、という感じの理解をしている。

だとすると、自分は孝が「人形」を取り挙げた大きなポイントは、あとからきた娘さんの身体的応答力であったと推測する。最後に述べる小林秀雄の夢想は、どちらかといえば、孝的ではない、と思った。


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