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長い小説に挫折する ~カミュ『ペスト』~ 3

長編を読み始めて3日目。さすがに目が疲れてきました。昨日は、折からの低気圧による頭痛に悩まされたのに第2章という苦行。今日は、ホッと一安心の第3章ですね。

アルベール・カミュという人は真面目な人で、それぞれの章の書き出しを引用してみると、話の流れがよく見えるように書いてくれています。

第1章 「この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オランに起こった」

第2章 「この瞬間から、ペストはわれわれすべての者の事件となったということができる」

第3章 「こうして、うち続く週また週にわたって、ペストにとりこめられた人々は、みんなそれぞれに精いっぱいの奮闘を続けたのであった」

第4章 「九月と十月の二月間、ペストは町をその足もとにひれ伏させていた。」

第5章 「病疫のこの突然の退潮は思いがけないことではあったが、しかし市民たちは、そうあわてて喜ぼうとはしなかった」

「この」「こうして」「この突然の」といった指示語があるおかげで、前を承けることが可能になります。なので、第2章の内容を要約するならば「みんなそれぞれに精いっぱいの奮闘を続けた」でしょう。実際、タルーもアルベールもコタールも、「奮闘」してました。それぞれのやり方で。

しかし、本を読んで感想を書くってどういうことなんでしょうね。黄昏時には、そんなことを思い描いたりしてしまいます。文章の中からちょっと共感した一節を拾い上げて紹介するも読書感想。結末の鮮やかさに感動した気持ちを書き上げても読書感想。登場する人物の言動に感情移入して自分語りしても読書感想。日常のライフハックに使えるよと知識のメリットを力説しても読書感想。

「あらすじ」をまとめること。話の骨格を掴むこと。これに変にこだわっているせいで、時間ばかりかかっておる読書ですが、本当に「あらすじ」の読解は必要なのかなと内省しきりです。論説は、そのロジックをまとめることで、物語は、そのストーリーをまとめることで、その人の読みの全体が見えると信じている私は生真面目すぎるのでしょうか。「生真面目~過ぎた~まっすぐな愛~不器用ものと~笑いますか~」と小さいころ観た『白虎隊』のテーマの一節が浮かびます。

とまあ、際限なき自問自答が出てくるのは、長編を分割すると感想もまた部分的になってしまうからでしょうね。まだ終わってないぞ!アラートが鳴っています。それにしても、お母さん、東京アラートってどこにいったのでしょうね。

第3章を記録する

『ペスト』第3章、話の流れのメモ 

この章は、第2章と第4章をつなぐブリッジの部分で、この手記の書き手が、俯瞰的に街の状況を書き記すパートになります。

ここもまた、1947年に書かれたというよりも、ここ数年のコロナ禍を見てきたんじゃないですか、というくらいの文章が並んでいてびっくりする。

「ペストは各種の価値判断を封じてしまった。そしてこのことは、誰も自分の買う衣服あるいは食糧品の質を意に介さなくなったという、そんなやり方にも明らかに見えていた。人々はすべてを十把ひとからげに受入れていたのである」(p.220)

「ところで、初めのころわれわれの葬式の特徴をなしたものは、迅速さということであった。すべての形式は簡略化され、そして一般的なかたちでは葬儀の礼式というものは禁止されていた。病人は家族から離れて死に、通夜は禁止されていたので、結局、宵のうちに死んだ者はそのまま死体だけでその夜を過し、昼の間に死んだ者は時を移さず埋葬された。もちろん、家族には知らされたが、しかしたいていの場合は、その家族も、もし病人のそばで暮していた者なら予防隔離に服しているので、そこから動くことができなかった。家族が故人といっしょに住んでいなかった場合には、その家族は指定された時刻へ出向くのであったが、その時刻というのは、遺体が清められ、棺に納められて墓地へ出発する時刻だったのである(pp.206-207)

埋葬部分の記述、私も昨年に祖父を95歳で亡くした時、ほとんど悲しむ間もなく処理されたように感じる葬儀を行ったので、とてもスムーズに共感できる。現代と異なるのは、土葬と火葬の違いくらいですかね。

いずれにしても、読者の環境の変化で、こんなにまでも小説の内容の共感度に差がつくんですね。

感想

感想……出ません。

何でしょうね、作品に完全に説得されてしまっているので、余計なノイズとしての感想が出ようもないですね。

この作品の舞台となったオラン。アルジェリアの西寄りの海沿いの都市で、Google Maps見ると、やはりとてもキレイなイメージですね。地中海の海の色ってどうしてこんなに青みが深いんだろうと思ってしまいます。私の地中海体験はカプリ島に行く途中で船酔いした記憶だけなので、ホント、もう一回訪れたいです。

北アフリカの都市といえば、やはりポール・ボウルズですよね。『雨が降るがままにせよ』や『蜘蛛の家』の作者、有名なのは『シェルタリング・スカイ』ですけど、やっぱり、フェズの迷宮のような街路のイメージが、北アフリカの都市らしい。オランにもきっと、そういう感じの造りの場所があるんでしょうけれども、カミュの作品にはあまり出てこないですね。

『ペスト』読みながら、風光明媚な北アフリカ都市をイメージしつつ、モロッコ音楽に興じるというのは倒錯的な感じがするけれども、なるべくなら楽しくやりたいですね。あ、今、コロナ禍か。不謹慎不謹慎。

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