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アレクサンドリア ~雑記・雑感4〜

失われた栄華の跡、というと何を思い浮かべるだろうか。

古代史を専攻していた友人に聞くと、真っ先に平城京が思い浮かぶらしい。

近代になると奈良盆地はほとんど問題にならなくて、神奈川県は言うに及ばず、群馬県よりも触れる事象がなくなってしまう、と、酒の席で言ったら憤慨していた。

奈良県は、私の唯一の友人ともいうべき人が、帰り道に事故で頭を打って、一命は取り留めたものの、もはや話すことが出来ずに幼い子供を残したまま療養施設に入ってしまった因縁を持つ土地である。

私の友人・吉郎(仮名)が、大学受験に失敗して、二浪の末某私大の2部の教育学部に入学したが、学費の問題で退学し、京都に流れ、そこである女性と知り合い、奈良県で所帯を持つまでの長い話は語る必要はないだろう。

吉郎(仮名)は、その後八木大和あたりに住み、子ども2人をもうけ、幸せに暮らしていた。

まだ健常だった頃、吉郎(仮名)を訪ねて奈良を巡った。それまでは修学旅行で東大寺近辺と法隆寺付近にしか行ったことがなかったが、いわゆる奈良三山にも登ったし、天理や橿原や吉野などの知見も増え、そして奈良山地の奥にも足を踏み入れたものだった。三速にしか入らない中古のディアマンテの乗り心地は最悪だった。

そんな吉郎(仮名)は、仕事からの帰り道スクーターで、たぶん動物の飛び出しに対して前輪のブレーキを急にかけて投げ出され、顔の前面、おでこのあたりを強打して、脳挫傷。一命はとりとめたが、言語機能が永遠に失われた。リハビリの甲斐あって、車いすを使っての移動まではできるようになったが、今はどうしているだろうか。もう、子どもたちも、成人しているだろう。

平城京は、だだっぴろい広場であり、失われた栄華のあとが生々しいというよりは、ほとんどない感じで、それが逆に清々しい。遷都というものは、これほどまでに都というものの跡を消してしまうものなのか、と考えさせられる。

飛鳥浄御原宮、藤原宮、平城京、恭仁京、紫香楽宮、ふたたび平城京、長岡京、平安京、一瞬だけ福原・・・

飛鳥奈良という時代は、都が移動する時代だったのだ、と思うと不思議に思われる。天武天皇以前は、近江大津宮なんていうのもあったよね。昔、大津宮にも行ってみたことがあるが、えっこれだけ、くらいの空き地である。大森貝塚以上の期待外れ感が強かったが、逆に考えると、奈良のことを思い出せるのは、安定した時代だからである。江戸期と近代。あとはせいぜい後醍醐天皇のころくらいか。

そう考えると、さすがに奈良は遠いなあ、と思われる。そんな奈良よりも遠い失われた都といえば、私的にはエジプトのアレクサンドリアである。

アレクサンドリア(2009)

古代の地中海都市アレクサンドリアにはムセイオンがあり、その中には大図書館があって、世界の叡智が詰まっていた。

ヘレニズム時代にはとくに自然科学が発達した。エウクレイデスは今日「ユークリッド幾何学」と呼ばれる平面幾何学を集大成し、また「アルキメデスの原理」で知られるアルキメデスは、数学・物理学の諸原理を発見した。またコイネーと呼ばれるギリシア語が共通語となり、エジプトのアレクサンドリアには王立研究所(̥ムセイオン)がつくられて自然科学や人文科学が研究された。

山川出版社『詳説世界史B』pp.39-40

入りきらなくなった蔵書は、セラペイオンの図書館別館に収められた。しかし、ムセイオンとアレクサンドリア図書館は、260年から300年までの間に焼失してしまったろうと言われている。おそらくは272年の、アウレリアヌス帝とパルミラ女王ゼノビアとの戦争中のことだったと、エドワード・J・ワッツは書いている(ワッツ‐中西2021、p.25)。

しかし、4世紀に一度どこかに再建されて、会員を集めたようである。その会員の記録は、4世紀から5世紀のアレクサンドリア人教師2名だったという。4世紀には別館だったセラペイオンの図書館が最大蔵書を誇ったようである。

ムセイオンはムーサ信仰とつながりがあり、そうした異教は、コンスタンティヌス1世のキリスト国教化以降、ローマ帝国の中での位置を変えざるを得ない。新プラトン主義哲学者の一人であったヒュパティアは、キリスト教徒たちと異教と断ぜられた人々の間で、無残にも殺害されてしまうのであった。

映画『アレクサンドリア』(原題アゴラ)は、まさに、この女性であるギリシア哲学者ヒュパティアを主人公とした物語である。ある意味で知の殉教者としてヒュパティアを描く『アレクサンドリア』は、エドワード・J・ワッツの『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』(白水社 2021)では、その描き方があまりにも9・11後の世界が残響しすぎているとほのめかされている(p.193)。その上でワッツは、等身大のヒュパティアを描こうとするのだ。

ただ、『アレクサンドリア』の冒頭の都市風景は、コリント式(コンポジット式かも?)の円柱が失われた都市の威容を想起させるし、教室でキリスト教徒の学生と新プラトン派(なのかな?)の学生とが議論を交わす光景も、再建されたかもしれないムセイオンの雰囲気を再現しようとして、努力されている(ヒュパティアが生きた時代にはすでに消失してはいたのだが)。それは、失われた栄華のノスタルジーとしても眺められる。

そういった安穏とした観方はよくないのかもしれないし、実際はセットなのだから、史実=実態ではないと言われればそれまでだろう。しかし、E・M・フォースターをはじめ、ロレンス・ダレルにいたるまで、アレクサンドリアの栄華を想起しようとする試みがある以上、失われた都市のロマンをこれ以上禁欲する必要もないだろう。

今ももちろんアレクサンドリアという都市はある。今あるアレクサンドリア図書館も、モダニズム建築としては非常に美しいと思う。ソロモン・グッゲンハイムやビルバオ・グッゲンハイムと並ぶ出色の出来ではないか。とにかく、地中海の周辺をじっくりと回ってみたい。

雑感なので結論はない。

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