堀辰雄「辛夷の花」(『大和路・信濃路』より)
堀辰雄のエッセイは、外界をここにありながらもどこかにあるような解像度で描くことが特徴のように見える。それを好ましく思う人、気取りだと思う人、様々な解釈があろうが、意識のありようとしては浪漫派に近いような気がする。
そんな『大和路・信濃路』は、ハッキリと具体的な現実の記号が示されているエッセイで、内容も比較的、具体性を帯びた内容になっている。
「辛夷の花」は、木曽路を通づる列車の中で、窓の外に見える白い辛夷の花を見そびれた堀らしき語り手が、すでに過ぎ去ってしまってそこにはない白い花のイメージを想像しながら、妻と仲良くしているところが微笑ましいエッセイである。
今まで堀辰雄が好きとハッキリ述べた友人はほとんどいなかったが、例のアニメ映画の影響からか、最近では堀辰雄の名前を耳にすることもまれにある。堀辰雄もまた、新潮で文庫が出されているので入手しやすく、かつ薄いので、パラノイア的読書子の達成感を煽りやすい作家でもある。
私も堀辰雄に関しては、あんまり関心がなかった方なのだが、ブックオフの隆盛と町の古書店の苦境が顕在化した1990年代末期に、町の古書店がリサイクルショップへと変貌しようとする中、かなりの安値でまとめて放出しようとしていた堀辰雄の古い版の新潮文庫を次々と購入したことを思い出す。
この『大和路・信濃路』も、その時に買った一冊で、ヤケがひどく、人によっては余り手元に置きたくない質感の一冊になっている。しかしながら、何度かの引越しの中で、実家にも送られず、どうしてか今も私の手元に残っている『大和路・信濃路』のうらぶれた文庫本を、私は自らの老いの進行と重ねて、とても愛おしくおもえる。電子でも買えますよー、捨てたらどうですかー、と言われかねない、小汚い文庫本ではあるが、愛着とはそうした利害を超えた関係のうちに宿るものではないだろうか。
信濃路、と言いながらも、この文庫のエッセイ集では、一編が省かれて、「橇の上にて」は「志賀」というから、志賀高原のことで信濃路?と、混乱してしまう内容であること請け合いなのだが、甲斐から信濃境を抜けて、木曽路へ入り、木曽福島に一泊して、急な降雪にもめげずに、中津川や恵那を中心とした東濃の平原へと抜け出ていく、あの期待感が余すところなく書かれているのが「辛夷の花」だと思う。
木曽路をゆっくりと旅行する機会も関心も、この忙しない現代社会の中では、単なるひねくれたノスタルジーとしてしか意味をなしていないが、山登りとか、宿場町散策とか、そういった目的性を持った旅行に加えて、電車で長野県側から岐阜県側に出た時の「あっ、視界が開けた!」感覚は、武田信玄のみならず多くの人を魅了することだろう。
松本平にいる時、西側はアルプスの山々が覆いかぶさっているように感じ、向こう側に行けるのか不安になる。諏訪から見ても、御嶽山には雪があって、かなり遠いもののように感じる。塩尻から有名なところだと奈良井、木曽福島、上松などの谷あいの宿場を抜けて、あるところで美濃に出た日の明るさを感じる。そこは中津川の盆地で、盆地なんだけれども、木曽谷の狭さを感じてきているから、とても広く感じるのだ。
どうでもいい話ですが、中央本線の十二兼という駅がある地名は、「読書」(よみかき)という名前で、読書子ならば幸福駅と並んで、かなりのパワースポットだと思うのですが、如何。
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