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「歴史、信仰、宗教、日本、世界、明治大正昭和/すべて今村さんが核心を書いてくれています」

今村均大将のマガジン中で、近々の四記事については、先の大戦である大東亜戦の反省について、引用しました(本記事の終わりに四記事を掲載しています)。

今村さんは、お父さんが裁判官でしたが漢詩を愛する文人であったこと、旧制中学のころ文芸に惹かれていたこと、インド赴任時生死を彷徨う重いマラリアに罹りその時夫人を失い絶望したこと、などの経歴から、浩瀚な回顧録の文章は独特の味わいがあり、また軍人であったことから、簡にして要、内容が非常に分かり易いという特徴があります。

今回の記事で取り上げる点は、今村さんが、

歴史、信仰、宗教、日本、世界とその情勢に関して

透徹した認識を持っていたということです。
浩瀚な回顧録のすべてにわたってその見識が溢れているのですが、
特に歴史、信仰、宗教、日本及び世界に関する捉え方、
一口で言うと人生いかに生きるべきか、
という問いに対する今村さんの応えが、
正・続の回顧録の末尾に集約して記されています。

『今村均回顧録』(正)では、
「第七部 妄想・日暮れて途遠し」で、
今村さんの信仰、宗教観、死生観
が述べられていますが、若き頃教会の説教に通ったという経験から聖書と仏教では禅宗や浄土宗、浄土真宗を長年読み続けておられたことがわかります。
また、陸士同期の作家山中峰太郎氏は浄土宗、浄土真宗と新約聖書の同類性を著わしていたらしいのですが、山中氏とは長年交流をされていたそうです。
今村さんが、「第七部 妄想・日暮れて途遠し」でいう、信仰、宗教、死生観は、世界的視野に立っていて、歴史的視点を持った明快な哲学を提示していると思います。
私は、これ以上説得力のある信仰、宗教、死生観を、寡聞にして知りません。

『続・今村均回顧録』では、
「第四部 反省と随想」で、
今村さんが捉える日本、世界、戦前戦後、大東亜戦、憲法
が述べられていますが、
なぜ日本が大東亜戦を戦わなければならなかったのか、それは伸長する国力が米国とコンフリクトしたからなので、当たり前だが日本が侵略戦争を仕掛けたわけでもなく、その敗戦は自分を含む指導部に責任があるけれど、その正義やアジア植民地を解放した結果は後世の歴史家がその意義を明らかにするだろうとの趣旨を、米国歴史家などの客観的資料を引用して丁寧に述べておられる。

この辺りなどは、半端な歴史作家などが小さく見えるほどで、保守論壇誌の論者などは、ひそかに今村さんの著述からその論拠を得ているのではないかと私などは思っています。

以上申し上げた『回顧録』の二つの部分、
『今村均回顧録』(正)/「第七部 妄想・日暮れて途遠し」
『続・今村均回顧録』/「第四部 反省と随想」
これらだけでも『今村均回顧録』は読む価値が十二分にあります。

そして付け加えれば、そのほかの『回顧録』の大部も非常に優れモノの著述なので、是非皆さんにもご精読をいただきたいと思っています。
家庭人、組織人つまりより満ち足り得る人生を生きていく哲学的バックボーンが与えられもします。


以上ですが、下記に最初に記載した、近々四記事を掲載しておきます。



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