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今村大将の「大東亜戦敗戦の反省」について

今村大将は、戦後、大東亜戦敗戦の反省について真摯に纏めておられます。
「幽囚回顧録」(どの版にも掲載されているようです)の最終盤に掲載されています。

五つの大原因

1)大権の侵犯
 軍部が、戦争するや否やという国家意思を体現する大権を侵犯したことを挙げています。そして政府中枢へ軍人官僚が入り政策を左右したことを悔悟しています。またそれは陸軍において甚だしかったと言っており、これは大命が一度は下った宇垣一成大将の組閣をつぶした事件などを指していると思われます。
2)陸海軍の対立
 陸海軍が統一した統帥のもとに置かれておらず、陸海ばらばらに戦争をしていたことを意味しており、これは本当に痛恨事と思う。戦後これまで良く言われてきたことではあるが、統一した戦略なき中、あの強力な米国と戦争していたというのはまことに痛恨。
3)作戦可能の限度
 戦力の限界は、本国からの距離の二条に反比例する、という原則がある。大東亜戦では、ガダルカナルなどの遥か遠方で戦いを進めようとしたことがあり、実際兵站の限界を超えた戦いで多くの将兵を飢餓で失ったわけである。
4)精神主義の偏重
 食料不十分の中で戦った将兵の実に多い大戦であった。また、装備の軽視もやはり少なからずあった。大将は、近代戦争では徹底的に合理を追求しなかればならないと慨嘆しておられる。
5)軍隊の慈悲心の欠如
 日清、日露、第一次大戦に比べ、昭和の戦争では、特にシナ事変では軍紀の乱れがあったと正直に吐露しておられ(ただいわゆる南京事件などのプロパガンダを言っているのではない)、「敵対する敵軍以外の者には、慈悲心を持って接することが、迂遠のようで、じつは戦勝獲得の近道であることを、、、」と述懐しておられる。
 あの有名な戦陣訓は、実は当時、東条大臣のもと教育総監部本部長であった今村さんが主宰して起案したもの。これについて今村さんは、抽象に過ぎ完全に過ぎ名文にすぎてしまってもっと簡潔にすべきだったと反省しておられる。

いずれも、将来の日本を思い、熟慮に熟慮を重ねて公にされたものだろうと思う。後世に生きる我々はその真意を十分に汲み、繰り返し繰り返し反芻消化していく必要があろうと思います。


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