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「令和五年新年にあたって、Note運営への思い」

ご挨拶

新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞこのブログをご愛顧のほどお願い申し上げますとともによろしくお願いいたします。

今年のNote

このブログについては、下記の取説と、

一年を擦り返って、どういうことをこれから書いていきたいか、ということについて下記に記しました。

基本的には今後も以上に書いたことは変わっていませんが、年初に際して少し具体的な思いを書かせていただきます。

マクロとミクロ

大きくとらえてマクロとミクロの両視点から万般について記していきたいと考えています。
1)マクロ
少しおこがましい言い方ですが、文明論や人類学的視点も含めて世界の政治や金融、経済そして歴史について考えていきたいと思っています。
例えば最近では、エマニュエルトッドの大作「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」について少し論じましたが、これなど今後もしばしば取り上げながら考えて行ければと思っています。
2)ミクロ
家族、仕事そして日本については、最も重要なことです。個々の出来事や仕事の進め方など、最も具体的なあれこれについて記すことは人生そのものといってよい、私自身と不可分の「わたし」という『個』そのものです。

このマクロとミクロは、これもおこがましい言い方ですが、一人の人間が生きる上で、両全を思い、不可分一体に捉えてこそ、人生が中身あるものとなり、何事かの創造と結びつくものだと信じています。
だからこそ、ミクロの中でもミクロに入り込んだ、全くこれ以上ないくらいクダクダしい「三十五年越し」やその中の「雨と水玉」などを綿々と女々しく書いています。

このマクロとミクロについては、空論を言っているのではなく、重ねておこがましいのですが、技術者として技術の本質を捉えこの両方を十分に意識していたことで、世の中にない斬新で役に立つ新しい技術を創造することができたという実績に基づいて、実感をもって言っているつもりです。

またクダクダしくなって恐縮です。
このようなことを申し上げたのは、ミクロ、すなわち家族そして日本が私にとって最も重要で全てであるからこそ、マクロ即ち、ミクロを取り巻き、力が大きく致命的影響さえ与えるものを、同時に語っていかなければなにも語っていることにならないと思うからです。
第一の人生、60年を曲がりなりにも生き抜いてきたから眺望できるものがありますし、ミクロな苦い経験も痛いほどしてきました。
その上で、まだうまく使いこなせば三十年近く持つだろう身体がありますので、若い頃と同じような清新な希望を持ち第二の青春だと思って日々の出来事を感じ、生きていくことで、少しでも多くの方々に有益で実践的な何事かを書いていくことができるのではないか、と思っています。

最後に

幻の詩人として有名なサムエルウルマンは、青春とは人生の若々しい年ごろのことを言うのではなく、清新で躍動する心の在り様をいうのだと、その『青春』という名の詩で逞しく謳っています。

この厳しい国際環境の中の日本、若者が十分な希望を抱ける経済環境を構築できてこなかった日本に対して、60代、70代の高齢者と言われる世代は何かをしなければならない責任があります。
そう思って日々、努力を積み重ねていけたらと思っています。







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