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諸行無常

電車に乗る。

人によっては義務であり、苦行。
しかし、今日の私にとって、それは渇き切った日常とはかけ離れた一種のオアシスであった。

私も以前は毎日のように電車に乗ることを強いられ苦しみ、ついには存在を憎みながらもその任務を遂行していた。

しかし、今日私を癒してくれたのは、価値が無いどころか私が昔毛嫌いしていた、人間を運ぶためだけの四角く金属で出来た筒だった。

こいつは本来不快な振動と音を発しながらただただ事務的に乗せた人間を、彼らの都合の良いところへと連れて行くものだ。さらにはそこに詰められた生物どもはそれぞれの意志を持っており声を出し、挙句の果てにはイカれたニオイを発したりもする。
たまったものじゃない。
そして今日も今日とて、それは何も変わらない。

隣に座った女子高生ズは周りの視線など歯牙にもかけず、幼稚園児が粘土で作ったような笑みを顔に浮かべながら、何の意味もないコミュニケーションをとる。
電車もキーキーと気味の悪い音を立てながら停車し、積んだ荷物のことなどお構いなしに乱暴に揺れる。

しかし、今日の私にはそれら全てが心地よかった。
保育園の先生が睡眠時間に歌ってくれた子守唄のような、そんな印象だ。

たまには電車に乗るのもアリかもしれないと思ったがこれは罠だ。
モノの価値は常に変動する。もし私が今すぐ家を出て、もう一度電車に乗っても先程以上の価値を提供してくれないだろう。
私の電車への価値観はさっき変わってしまった。
さっきのようなギャップはもう生まれない。
さらに、同じ電車に乗っていた乗客に出会うことはおそらくはもう無い。

子守唄のような程よい話し声、揺れ、気温、私の欲、これら全てが再現されることはもうない。
時間が変わったからだ。
進んだ時間は二度と戻らない。
現在、今日乗った電車は私の記憶にのみ存在するものでありこれもまた時間が経つにつれ徐々に薄れていく。
諸行無常は常に私たちと共にある。
本当に時間が、成長が恨めしい。

だからこそ、ここにこれを記しておく。
とにかく今日の乗車は最高だったと。

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