教員としての葛藤との向き合い方~「終わりなき旅」を続ける覚悟~
教員としての葛藤との向き合い方
日々の教員生活の中で、常に葛藤を抱えています。自分の指導がうまくいかないときや、子どもがこちらの言うことを聞かないとき、心がざわつくことも多いのです。
もし私が“覇王色の覇気”のような圧倒的な威圧感を持っていたら、うまくいくこともあるかもしれません。しかし、無理にそれを出そうとすれば、失敗し、逆に子どもたちとの信頼関係が崩れてしまうことも多い。だからこそ、私は自分らしさを大切にしながら教員としての日々に向き合っています。
日常の中で大切にしていること
私は、毎日泥臭く子どもたちと接し、笑顔で関わることを大切にしています。授業では真剣に向き合うことを諭し、休み時間には笑顔でリラックスする。そのメリハリを意識しているのです。ときには厳しく、ときには優しく接する。なぜなら、私が目指すのは、子どもたちが将来自立し、社会に参加できるようになることだからです。
教員の役割は、子どもたちが好き放題にふるまうことを許すことではありません。自分で働き、賃金を得て、社会の一員として生きていける資質と能力を身につけさせることが目的なのです。
子どものパフォーマンスと指導の難しさ
子どもたちの中には、叱られると怒りやすくなる子もいます。物を投げたり、暴れたりして、自分の意のままにならないと分かるとパフォーマンスを始めるのです。周囲の子どもたちの目がある中で、こうした行動はさらに顕著になります。これでは、子どもが大人の上に立つ状況ができてしまいます。
私も人間なので、正直なところ、こうした場面では怖気づくこともあります。大人が少しでも強く対応すると、その後の保護者対応や子どもとの信頼関係の崩れ、不適応行動がエスカレートする可能性を考えてしまうのです。また、「もめごとには関わりたくない…!」と感じることも、実際あります。
担任としての責任と逃げられない状況
特に担任であると、責任が伴いますから、逃げることはできません。しかし、担任でない場合、心のどこかで「自分じゃなくても」と考えてしまうことがあるのも正直なところです。例えば、担任が休みの日に暴れている子がいれば、「誰が対応するの?」と他の誰かに期待してしまうこともあります。
しかし、結局は私が出て行くしかありません。なんとかその場を納めると「すごい!」と褒められる一方、次回もその役割が回ってくるということが続きます。正直なところ、これによって自分にメリットがあるわけでもなく、給料が上がるなら何度でもやりますが(笑)。
子どもたちの未来のために
本音を言えば、「暴れたければ放っておけばいい」とも思うのです。周囲から恐れられ、学習についていけなくなっても、それは本人に返ってくるものだからです。しかし、それを許すと周りの子どもたちに「暴れてもいい」「勉強しなくてもいい」という誤ったメッセージが伝わってしまいます。だからこそ、子どもたちには、社会で許されないことをしっかりと伝えなければなりません。
教員として、正解があるわけではありません。その場その場での行動が最適解だったかどうかは、子どもたちが成長した姿でしか分からないのです。私たちが見られる答えは、小学校を卒業してからの6年後、10年後です。答えが見えるまでの間、次々と新しい子どもたちと向き合い続けなければならないのが教員という仕事なのかもしれません。
成長し続ける教師であるために
私自身、ビビりでコミュ障で優柔不断な一面もありますが、だからこそ、教師という役割を全うするために「役者」でありたいと思っています。教壇に立つ限り、日々精進し、学び続けることを忘れません。いつまでも成長できる環境にいられることは、何よりの喜びであり、教師として続けるためのモチベーションです。
終わりなき旅路を、これからも歩み続けていきます(ミスチルか!)。
お読みいただき、ありがとうございました。