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39 特別支援教育は「特別」な支援をすることではない

最近、日々の学校生活を過ごしている中で、ある違和感を感じるようになりました。現在在籍している特別支援学級の子ども達が
 
してもらって当たり前
「特別」に支援してもらって当たり前

という意識があるような気がしてならないのです。

例えば…
「トイレについてきてもらって当たり前」
「物を取ってもらって当たり前」
「髪を結んでもらって当たり前」
「鉛筆や消しゴムを忘れたら借りられるのが当たり前」
「牛乳のおかわりを持ってきてもらって当たり前」
「プリントを机の前まで持ってきてもらって当たり前」
「勉強が分からなかったら教えてもらって当たり前」
「交流学級の学習では常に横についてもらって当たり前」

という当たり前が、根強いような気がしてなりません。
これは普段の私の指導の不十分さ、至らなさの結果だとは十分承知した上ですが、周りの特別支援学級の様子を見ても、そのような印象を受けることが多いです。

原因は、

「少人数なので手が届く」

からだと考えます。

40人学級だと、教師1人で40人を1人ずつ手取り足取りしてあげるわけにはいきません。子ども達もそれは承知していますので、教師の説明で分からなければ周りの子たちの様子を見たり聞いたりして自分で何とかしなければなりません。

一方で、最大8人の特別支援学級では、待っていれば担任や支援員が代わりにやってくれるのです。

やってあげた方が早いし、大人は「やってあげた」という達成感や役割を果たしている満足感が得やすいという側面もあるように感じます。

私は、少人数の特別支援学級だからこそ「待つ」姿勢が大切だと考えます。

学習、日常生活、給食、当番活動など様々な場面でまずは自分でさせる。

できなければ教える。

できれば褒め称え、その行動を強化し、徐々にできることを増やしていく。

このサイクルが、少人数である特別支援学級では可能なのです。

現在、私が担任する知的特別支援学級では本立てを制作しています。
初めは片付けが十分でなく、忘れ物があったり、木くずが残っていたりしていました。
制作を重ねるごとに準備や片付けがスムーズになり、以前は忘れていた机の上の木くずの清掃も主体的に協力してできていました。
ふりかえりで、「前回よりも準備や片付けがスムーズになりましたね。机の上の木くずも忘れず、掃除できていましたね。」と価値づけました。

特別支援学級という少人数構成で指導できる場だからこそ、手厚い支援というなのおせっかいをかけるのではありません。

時間がかかってもいいので粘り強く待ちの姿勢を貫き、成長を見取って褒め称えることができます。

これが特別支援なのではないでしょうか。

ABA「応用行動分析」では、子どものしてほしい行動を増やしたいときの基本方針は、

①行動の「きっかけ」を提示する
②行動の「結果」に「いいこと」を提示する(=強化)

です。行動のきっかけは学校の当番やお手伝い、少し頑張ればできる課題などでしょうか。
行動の結果のいいことは、ほめること、お楽しみタイムを設けること、シール、トークンエコノミー法などがあります。
特別支援のスキルを活かしながら、おせっかいという「特別」な支援をするのではなく、意図的に子どものよい行動を強化し、成長に導くことが大切なのではないでしょうか。
そのための、少人数構成の特別支援学級だと自分自身も再認識し、気持ちを新たに今年度の子ども達の成長を見守っていきたいと思います。

今回は以上になります。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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