ステラおばさんじゃねーよっ‼️90.島の郵便局〜お礼状
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夏男さん
前略、先日は息子の太士朗と私、知波が大変お世話になり、ありがとうございます。
そして思い返せば、不躾な言動が多々ありましたこと、併せて申し訳ございません。
その後、お変わりないことと存じます。
夏男さんとお会いした時、私たちは全くの赤の他人だと思っていたためあまりお互いの話をする事ができませんでしたね。
まずは私の家族について少し記させていただきたいと思います。
私は19歳の頃、悠一朗さんと出逢い恋に落ち、結婚しました。
悠一朗さんはずっとやさしく、私はとても幸せでした。
そしてその数ヶ月後に、太士朗という玉のような子を授かりました。
愛する夫とその子供を身ごもった毎日がただただ美しく愛おしかったのを覚えています。
しかしその直後、悠一朗さんの工場が知人の裏切りにより倒産し、彼の精神は錯乱して一時は入院した程でした。
その間私は無事お産し、太士朗を育てながら、なけなしの貯金を切りくずし生計を立て、借金取りから逃げるような暮らしでした。
けれど、私はふたりがいれば幸せでした。
悠一朗さんは自分の不甲斐なさで家族を苦しめているのを気に病み、太士朗が3歳の誕生日に自殺しました。
私と同い年なので、彼は23歳で生涯を閉じました。
太士朗が夏男さんにお伝えした通り、訳あって私は、姉がいた養護施設に太士朗を預けました。
その頃悠一朗さんの死により、わたしも精神が錯乱し、姉が太士朗を引き受け育ててくれました。
本当は一目でも会いたくて、何度か施設の近くまで訪れたこともありました。
でも思い直し、引き返しました。
どんな理由があったにせよ、私があの子を捨てた最悪な母親であるのは間違いありません。
だから遠目からでも彼の成長を見てはいけない、と太士朗から距離を置くことにしました。
そして数十年が過ぎ、奇跡的に太士朗と出逢い、ふたたび家族になれたのはつい1年前のことです。
太士朗との再会は、悠一朗さんや喜久榮さんからの贈り物だったのではないか…と、鳥海島に着いた時、ふとそんな気持ちになりました。
さらに夏男さんに出逢えて、夏男さんが悠一朗さんのお父様だとしった時、私は嬉しさと恐ろしさに身ぶるいしました。
人との巡り合わせはとても奇跡的で、奇妙なものなんだとあらためて教えてもらえた気がします。
わたしの再婚相手との娘、歩も夏男さんに会いに行きたがっております。
今年の年末にまたそちらへ家族で伺わせていただけたら嬉しいです。
私の携帯電話は、以下の番号となります。
○○○-△△△△-◇◇◇◇
手紙が手許に届きましたら、こちらにお電話をいただけたら幸いです。
少しずつ冬が近づいてきております。
お身体、ご自愛くださいませ。
草々
追伸 太士朗は、28年前の11月1日に生まれました。
小鳥遊 知波
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