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【エッセイ】エンパス!現実主義の母と私と幽霊と 30. 最終話。

 ここまでツラツラと自身のエンパス体験、及び不思議体験などを書き綴ってきたが、正直、こんなに長くなるとは思わなかった。

 ここら辺でそろそろ締めようと思っているのだが、改めて見返すとエンパス体験らしいエンパス体験、相手の感情や嘘が分かる体験があまり書けてないように思ったので、最近の出来事を加えてみる。

 ある日、私は母の心にもない言葉の嘘が分かってしまった。

 病気になってから不安になったのか、母はよく老後の話をするようになった。そしてある時唐突に「お母さんはあなたの味方だから」と言ってきたのだ。瞬間、私の心はゾワッとした。

 嘘である事はすぐに分かった。例えエンパスじゃなくても今までの言動を見ていればこれは本心ではないと分かるだろうが、空気がザラつくというか、内臓の毛が逆立つというか。(いや、もともと内臓に毛はないんだけど)

 昔、邦楽を聞いて気持ち悪くなった時と同じだった。そこに明らかなチグハグ状態を感じ取り、受け付けない、胸焼けみたいになったのだ。

 要は老後の心配が出てきたから母はあんな取り入ろうとするような事を言ったのだろう。
 他にも、老人ホームでの虐待ニュースが流れる度に、「アンタはクソババアなんて言わないでよ?」とか「あんな風に叩いたり蹴ったりしないでよ?」とかやたら言ってくるようになったのは、やはりそれらはかつて自分が私に対して行なってきた事だという心当たりがあるからだろう。

 別に心配しなくても復讐なんてバカげた事はするつもりないし。何より、私は必ず因果応報ってあると思うから、もし復讐なんかして、それが自分に返る方が怖いし嫌だと思っている。
 でも、今まで味方だった事なんてないのに、助けて欲しい時に助けてくれなかったくせに、今更どの口が言うのかと白々しい気持ちにはなったけどね。


 あとは割と最近、不思議体験の方でもある出来事があったのでこれもついでに書いておく。

 先日私は都市伝説のメリーさん(?)みたいな、ちょっとだけ似てるような体験をした。

 その都市伝説では人形から電話がかかってくるのだそうで、「メリーさん、今◯◯にいるの」と何度も電話がかかってきて、その度に距離が段々近付いてきて、最後は自分の後ろにいるという……。

 私は人形じゃなくて女子高生だった。しかも電話ではなく頭の中に直接届く映像だ。

 ある夜の事。突如私の頭の中にパッと映像が飛び込んできた。(感覚としては頭頂部付近でものを見ている)

 それは制服を着た女子高生が俯きながらゆっくり歩く映像で、何だか周りの景色に既視感がある。実は女子高生が歩いていたのは私の住む市内で家からさほど遠くない場所だった。

 映像はすぐに消えたのだが、少し経つとまた映像が届けられる。しかも景色を見る度に確実に私の家の方に近付いている。
 5度目の映像でとうとう家の前まで辿り着き、玄関から家の中に入ってきて……。


 大抵の人はここで叫び声を上げるだろう。
 だが、私は今まで散々霊に脅かされた経験からコンチクショーと思っていたので、説教というか説得というか……。
 ここに来られても仕方ない、何も出来ないと言って聞かせ、最後はその女子高生に神社への道案内をしたのだった。

 この道をまっすぐ、信号渡って更にまっすぐ行くと神社がある。そっちに行った方が断然いい。何も出来ない私よりそっちに行った方が助けてくれる人がきっといるよ!と言ってその霊を送り出したのだ。

 今はごくたまにしか霊体験には遭わないけど、そんな体験をした時は反省しなくてはと思ってる。だって霊を引き寄せてしまったという事は、その時の私の波長が低かったという事だから。



 未亡人になったその後の実生活の方では、大失敗して学んだ事が一つあった。まあ、これまでも私は失敗してから学ぶ事が多かったが……。

 前にも書いたが、私は先に自分の思い込み、刷り込みがあるとエンパスとしての能力がうまく働かない。
 だから騙されてしまったのだ。私は郵便局員に騙された。

 以前テレビのニュースでも話題になった、かんぽ生命不祥事事件。私もその被害者の一人になってしまった。
 しかもかんぽ生命だけでなく、私は投資の出資もしてしまったので、余計バカを見るハメになったのだ。

 油断した。まさか郵便局員が騙すはずないと思っていたし、完全に信用してしまった。

 その郵便局員にはもちろん、あの時は自分にもガッカリしてしまった。自分がそういうカモにされていたっていうのが悔しいし、郵便局員にコイツなら騙せると思われたのが何だか見くびられたようで腹が立つ。そしてそれを見抜けなかった自分も相当情けなかった。

 ショックは大きかったけど、その失敗のおかげで私は学べた。要は無知だから良いようにされたのだと思ったので、今度は簡単に騙されないようにと投資の勉強をし始めたのだ。おかげで今はけして多くはないけれど利回りで生活させてもらっているし。(非常に質素な生活だが)



 潜在意識としては【徳を積まねば】という思いが沸々と湧いてきて、年に何度かは自分が出来る範囲でのボランティアをやっている。
 着ない衣服や使わない家電の寄付だったり、投資先から時々送られてくる金券などはNPO法人やフードバンクに回したり。


 あと、これが最後の記事になるので、最後に何か書き残しておきたい事はないかと思い出したのが、大人による「そうは言っても子供の事を心配しない親はいない。想わない親はいない」という発言の事だった。

 この発言は、親の事で悩んでいる子供が大人に相談した時に、その相談された大人がよく返す言葉だが、それは子供からしたら聞きたくないと思うのだ。(私だけかな?)

 少なくても私はそうだった。
 あなたに何が分かるの? だったらあなたも毎日怒鳴られたり叩かれたり包丁で切りつけられてみればいい、前世で殺されてみればいい、それでも同じ事が言えるのかと。
 その発言をされた時点で内心すごく反発したし、「ああダメだこの人」と失望しては壁を作ってしまったのだ。

 親になれば分かるよ、なんて言うけどさ、自分だって間違いなく子供の過程を経てきたのに何故子供の気持ちが分からないのか。本人の傷の程度も知らないくせに安易な事は言わないで欲しいと当時は思ったりしたものだ。


 ……ああ、最後なのにエンパス話から外れてしまった。長くなったしそろそろ本当にもう終わろう。締めに何かエンパス的な事は――、

頭の中にピンポンってチャイムの音が聞こえたら次の日必ず誰かが私の家にやって来ます。

 まあ、大体こんな所かな。最後の最後まで長い文章になってしまった。

 さてさて、これにて私のエッセイ【エンパス!現実主義の母と私と幽霊と】は終了とさせて頂きます。
 拙い所もあったと思いますが、読んで下さった皆様には大変感謝しております。

 これからも現実主義の母に付き添いながらの生活は続くと思われますが、好きな創作などでたまに息抜きをしながら日々を過ごせたらと思っております。

 最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました!




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