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【エッセイ】術後せん妄と絶望#2 二つの闘い:コロナ禍でのがん告知

#2 二つの闘い:コロナ禍でのがん告知

母ががんと診断されたのは、コロナ禍の最中のことだった。病院には父だけが付き添い、診察室でその厳しい現実に直面したと聞いている。

医師は淡々とした口調で、検査の結果を伝えたという。母の腫瘍は手術をしなければどこまで浸潤しているか分からない状況で、治療法や期間についても詳しく説明されたらしい。母はその言葉を耳にしていたが、まるで遠くの出来事のようにしか感じられなかったようだ。現実がどこか夢の中の話であるかのように、ぼんやりとしか受け止められなかったのだろう。

実は、母は2〜3年前から体調の不調を感じていたようだ。ただ、病院嫌いの性格もあって、検査を受けようという気にはなれなかったらしい。しかし今回の診断を受けてからは、「どうしてもっと早く病院に行かなかったのか」という自責の念と、「なぜ自分がこんな目に遭うのか」というやり場のない思いが胸に去来したという。

というのは、長らく会社勤めの父を支え、子育てと並行してパート勤めをして、お互いに定年まで勤め上げ、周りに感謝されながら退職し、これから老後の楽しみで2人で旅行に行ったり、のんびり暮らそうとしていたまさにその矢先だった。

そのタイミングでこの現実は、私にもあまりにも理不尽なように思えた。母の人生って一体なんだろうとも思った。

病院の待合室で、母はその思いをかみしめながら、どこか遠くを見つめていたのかもしれない。父もまた、隣でその痛みに気付きながら、言葉を掛けることができずにいただろう。その場の空気は重く、病院という雰囲気の中で不安が増幅して押し寄せてきたに違いない。

私には事前に「お母さんは何か病気かもしれない」という連絡もなく、その日が検査結果を聞く日だということすら知らされていなかった。ましてや、がんの検査を受けていたことすら初耳だった。親というのは、子どもに心配をかけないよう、自分のことを秘密にするものなのかもしれない。自分の痛みを隠し、子どもに余計な負担をかけないように。

当時、コロナ禍という先が見えない暗闇の中で、私たちは新たな試練に直面した。日々更新される感染者数や死者数の情報に心がかき乱される一方で、母の病とどう向き合うかという新たな問題がのしかかってきた。

母の病と向き合うことになったことで、私は一つの真実を学んだ。

命とは、いつも予測不可能だ。

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