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キュン      (2/4)


 いつの間にか五分以上桜の降るさまを眺めていたらしい。
 警笛が鳴り響き、遠くにいつもの赤い電車が見えてきた。僕はベンチにだらっと座っていた体をおこし、黄色い線の手前まで進んだ。
 すると、改札側の階段からうちの学校の制服を着た生徒たちが駆けおりてきた。おおかた、久しぶりの再会に友人とぎりぎりまで話し込んでいたか、先生の話が無駄に長かったクラスの人達だろう。
 うちの学校は電車通学がそんなに多くはない。感覚でいえば、歩きが三割、自転車が五割、電車が二割といったところか。
 いつもは部活がある人は乗ってこないから、ホームでも、電車内でもある程度のんびりできるのだが、今日は始業式で部活のない人が多いのか、結構な人数だ。
 いや、それにしても人が多い。しかも、いつもなら電車通学の人が少ないゆえに顔を知っていることが多いのだが、今日は見たことのない生徒が多い。しかも、やけに制服のサイズがあっていない。
 なるほど、そういえばそうだった。
 一年生が入ってきたからか。だからやけに人が多いのだ。
 これからしばらくの間はこの若干の混雑とともに登下校しなければいけないらしい。
 電車が、キーッと摩擦音をたてて止まった。奥の方まで来ている人は少なかったので、すんなり座ることができた。
 しばらくすると空いている車両を探してやってきた人たちが入ってくる。
 やはり新入生の様だ。キャッキャウフフな雰囲気が居た堪れない。高校が楽しいのは幻想なのだと、皆が抱いてきたであろう高校生のイメージはクラスのごく一部が享受できるだけで、基本は波風たたない生活を送るんだ、と言ってやりたい衝動に駆られた。
 無論そんなことしない。僕が新入生の抱く理想の高校生活のレールに乗れていないことを僻んでいるみたいじゃないか。
 波風たたない高校生活に僕は満足しているんだ。津波なんかのぞんじゃいない。
 そこでもう一度警笛がなる。
 ドアが閉まる直前に一人の女の子が駆け込んできた。
 急いで走ってきたからか、髪がかかって顔は見えなかったが、電車に駆け込んでくるなんて余裕のない人だなと感じた。別に次の電車にしたっていいだろうに。
 その女の子が、乱れた呼吸を整え、顔を上げた。目にかかった髪を分け、その素顔が僕の瞳にうつる。

  可愛い。

 電車の中に舞い込んだ彼女は電車の窓を鏡代わりに、おそらく今日初めて着たであろう制服を整えた。
 そして、制服の袖に隠れていた真っ黒なヘアゴムを手のひらに持ち、先ほどの乱れた髪をかき上げ、ポニーテールに髪を束ねた。
 髪をかき上げた時のうなじが美しい。
 彼女はドアのそばで立っている。彼女が髪を耳にかける。窓越しに桜の木を見上げている。
 桜に見とれている彼女。

 もう少しこっちを向いてくれないだろうか。もう少し顔を見せてくれないだろうか。今から彼女の友達が現れて、クラスや名前を会話のなかで教えてくれたりしないだろうか。今、彼女が落とし物をしたのなら、真っ先に僕が拾いに行こう。

 ハッと気づいた時には、すでに自分が下りる駅についていた。電車がこの駅に着くまでの間、僕は何をしていたのだろう。
 ずっと見とれていたのだ。彼女に。
 彼女は可愛かった。瞳はビー玉のように透き通っていたし、髪だって遠目で見ても分かるほどさらさらだった。
 とりあえず電車をおりる。特に何を考えるでもなく、彼女のいない方のドアから降りた。
 おりてすぐのベンチに腰を掛ける。
 一瞬だ。ほんの一瞬。まるで静電気みたいに何の前触れもなく、あのかわいい子が顔をあげたとき、僕の中の何かが電気が通ったかのように震えた。耳元で心がキュンと弾んだのが聞こえた。そして、それからずっと見とれてしまっていた。いつもの駅の名前がアナウンスされるまでの間、ずっと気づかずに見とれていたのだ。
 僕は知りたくなっていた。彼女のことを。彼女の名前を。
 顔をあげた時には電車はいなかった。それでも僕は彼女の存在が心の中に住み着いて、心を桜色に染め上げていることに気づかないほど鈍感ではなかった。
 

「ただいま。」
「おかえり。」
 家につくなりベッドに飛びこむ。今日はなんだかものを考えることができない。いや、考えてはいるのだが、一つのことしか考えられない。
これはなんだ。知らないのに。何も。名前すら知らないのに。
 心が脈打つ。顔が燃える。胸がしめつけられる。
「翔太~、ご飯よ~」
 母さんがのんきな声で呼んでいる。もう少し落ち着きたいのに。
「どうだった?今日から学校始まったけど、クラスは?友達と一緒だった?」
「うん。」
「そう!よかったわね。翔太は友達少ないからね。いつでも家に友達つれてきていいからね!」
「うん。」
 会話の返しが思いつかない。母さんも少し訝しく感じた様子だったが、スルーしてくれた。さすがに愛想がなさすぎると思われたかもしれない。だけど母さん、初めて好きな人ができたかもしれないんだ。今日は許してくれ。

 夜、ベッドに入っても中々寝付けない。目をつぶってから完全に眠るまでの間に頭がこんなにこんがらがるのは初めてだ。どんなにつまらない事を考えても、どんなに真面目なことを考えても、うっすらと、あの、僕の目を奪ったかわいらしい彼女が浮かんできてしまう。
 今までこの時間に意味なんてなかったのに、さっさと眠りにつきたいと思っていたのに、今日は思考を巡らせて、彼女との理想の知り合い方を妄想する。それが楽しくて仕方がない。こんな気持ちも、こんな夜も初めてのことだった。






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この小説は、日向坂46さんの楽曲「キュン」を参考に執筆させていただいております。ぜひともそちらもお聞きになってみてください。

また、この小説に関しまして、私がシナリオも構成も考えず、なんとなくで書き始めたものです。小説の執筆は思っていたよりも楽しく、この小説はいったん切り上げて、次の作品をちゃんと構成を考えてから書きたいと思っています。ただ、準備なしで書き出したとはいえ、この小説を中途半端で終わらせるのもなぁ、という気もしておりますので、評判がよければ、続きを書いていこうと思います。

もし、続きが見たいと思っていただけたら、気楽にいいねやコメントをよろしくお願いいたします。 

                  7/17                        #166


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