じいちゃんの入ってる棺桶に僕はあの娘へのラブレターを入れた
半蔵門駅を降りて真っ直ぐに進む。いつものようにラジオブースに入り、リスナーの生徒たちの書き込みのメールを読み、2時間喋る。タクシー拾って家に帰りつくのは大体深夜2時を回ってて。気持ちがいい夜は、夜風にあたりながら金麦を呑んで歩いて帰る。シャッフルが選ぶ音楽が、心臓にピントが合う時の心地よさたるや。
この4月からの毎夜のルーティン。
前代未聞の出来事が世界を襲ってて、案の定、世界が不規則な中、皮肉にも僕の生活は少しだけ規則的になった。
芸人という仕事に就いて10年目。
ラジオの中の学校に就いて1年目。なんなら2ヶ月目。世界は一体何年目だ。
僕の実家は、セロリ農家だ。唐突に言った。もう一度言う。セロリ農家だ。不規則に叫ぶ、僕が僕になるきっかけのこと。そう、あのセロリ。子どもが嫌いな野菜ランキング第一位。もはや殿堂入りの根強い逆人気。圧倒的クセの強さ。ザ・大人の野菜。というか大人でも苦手だと言う人がわんさかいる。そんでもって、SMAPの名曲。育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ。SMAPはそう軽やかに爽やかに歌ってみせたが、セロリ農家の息子として生まれ育った環境で、セロリが苦手だということは中々のマイナスだ。案の定、僕を含め兄弟3人、兄ちゃん弟も食べれなかったし、食卓に出ることもほとんどなかった。
大人になった今でこそ美味しいと思うし、酒の肴にセロリと砂肝を炒めたやつなんか永遠に食べられるが、やはり子どもには到底分かりやしない領域。いちごやぶどう農家の友達が心底羨ましかった。
昔、うたばんでSMAPが新曲「セロリ」を披露するって時に我が家は家族総動員でリビングに集まり、テレビにかじりついた。これでセロリ人気が沸騰するぞと意気揚々と待機してた父親が、曲終わり開口一番。
「セロリ関係なかやんか!!」
と叫んだのが幼心に鼓膜と心臓にこびりついてる。
そんなセロリは、福岡県みやま市という僕の生まれた街の名産品。何度も福岡のローカル番組でも特集を組まれるほどの、人気の名産品であり。地元の駅に降りれば、古びた看板に、ようこそ!と、名産のナスビとみかんと、セロリのキャラクターが農作業着を着て笑って出迎えてくれる。中々のシュールだ。
実はこの街にセロリを広めたのは何をかくそう、僕のじいちゃんだった。
じいちゃんは八人兄弟の長男で。中学生の時にお父さん、つまり僕のひいじいちゃんを亡くして、小さい弟、妹達を食べさせるために中学をやめて働いたそうで。 学年でも一番成績が良く、高校にどうしても行きたかったじいちゃんは、くず鉄を乗せたリヤカーを引いて歩いている時に、高校の制服を着た同級生達にからかわれて、悔しくてたまらなかったそうだ。
それからばあちゃんと出会い結婚して、何を思ったか代々家業である大工を辞め、セロリという謎の野菜を作ることに決めた。急ハンドルすぎる。よくそこに手を出したな。弟や妹たちも成人し、今なら好きにやりたいことに挑戦出来ると思ったのだろうか。
村の仲間達5人を誘い、戦後まだ日本で誰も食べていなかったセロリというヨーロッパの野菜に。大工から農家に転身し、1から初めた一世一代の大博打。毎日が不眠不休で、試行錯誤の戦いの日々だったらしい。
そしてそっから60年。今じゃすっかり町の名産どころか、僕の地元はセロリの生産全国三位の名産地にまでなっている。並大抵の努力じゃなかっただろう。立派すぎて目眩がする。今はじいちゃんから父ちゃん、そして兄ちゃん。親子三代で受け継いでいる。本当に凄い。僕はいつも地元に帰ると家族や友達より、このセロリのキャラクターに出迎えられる。最近市役所の観光課がLINEのスタンプを作った。「任せんね!!」と拳を突き上げて目が異常に血走ってるセロリ。怖すぎるだろ。任せにくいよ。そんでそのセロリには名前はついて無い。多分、僕は「学」だと思ってる。じいちゃんの名前だ。それくらい付いていい。だってこの街のヒーローなんだから。
その偉大なヒーローは、僕が18歳の冬。2月9日。大学受験当日の朝、亡くなった。
僕はじいちゃんが大好きだった。頭が良く優しく面白いじいちゃん。地区の区長もやっていたじいちゃんのとこには、近所の皆が集まってはいつも、学さん、学さんと呼んでいた。小さな田舎だから、どこへ行っても「おお、学さんとこの」と言われた。みんなのリーダーで、僕はそんなじいちゃんが誇らしかった。
小さい頃から、じいちゃんにだけはなんでも話して相談していた。じいちゃんは僕をよく褒めてくれた。剣道の試合で勝った時も、小学校でのマラソン大会で一位をとった時も、版画でコンクールに入賞した時も、たくさん褒めてくれた。それがとても嬉しかった。
兄ちゃんや弟は僕より世渡り上手で、上手いこと甘えてお小遣いを貰っったりしてたけど家族にさえ甘えるのが下手で気を遣ってた僕はずっとそれができなかった。本当はもちろん僕もお小遣いは欲しかったんだけど。
僕が小学生の時、お盆か正月だっただろうか、親戚のみんなが集まって「宝くじが当たったらどうする?」なんてたわいもない雑談で盛り上がっていたことがあった。僕ら子ども達は居間でみんなでテレビゲームをしてて。 駅伝観るからと、ばあちゃんにテレビのチャンネルを替えられてふてくされていた。
僕がトイレに向かうと、廊下でたまたまじいちゃんとすれ違った。ふと、じいちゃんが僕にこう言った。
「いつも我慢しとるもんな。 じいちゃん宝くじ買ったけど、当たったら全部光にやるけんな。みんなに内緒やぞ」
じいちゃんがその時どんな顔で言ってたかははっきり思い出せない。本気で言ってたのか冗談で言ってたのか、もはや確かめる術はない。でも覚えてるのは、すっごい嬉しかったことだ。今までどんなに褒められた時よりもすげえ嬉しかったんだ。一瞬でも、何億ものお金を一人占めできると思ったのかなぁ、あの時の僕は。
いや違うな、子どもながらにそんなの当たるわけねえよと思ってた。 嬉しかったのは、僕の思ってたことがじいちゃんに全部お見通しだったからだ。
そんなじいちゃんも僕が高校生ぐらいから、病気でずっと入退院を繰り返していた。三年生になる頃にはお医者さんにも、もう長くはないと言われてたから、ずっと覚悟はしていた。
進路を決めなければならない、高3の夏。僕はじいちゃんにだけ相談をした。
「芸人になろうと思っとる」
小さい頃から何年も何年も憧れつづけた夢は、時が経って化石のように心の中で固まって、ちっとも口から思うように出てこなくて。相談があるんだと、じいちゃん家に行ったものの、じいちゃんを前に何も話せずにいた。
「ごめん、また来るわ」
そう言って何も話せず帰った翌日に、じいちゃんはまたもや入院することになった。
それから相談するタイミングを失ったまま、季節は過ぎて冬になった。
受験の前日。 急にじいちゃんの容態が悪くなった、急いで病院に来いと母ちゃんから電話があった。
ちょうど、図書館で明日の受験に向けて最後の追い込みをしてるところだった。たまたま好きなあの娘も勉強しに来てて「明日、受験頑張ってね」と言われ、人生最良の日だと浮かれていた矢先のことだった。
彼女に1ミリでも心配をかけたくなくて、明日に備えて早く寝るから先に帰るよと、夕方5時にバレバレの嘘をついて図書館を出た。
じいちゃん間に合ってくれよと、原チャリぶっとばして病院に向かった。
「おう、来たか光。明日受験なら来んでもよかったのに」
走りこんで勢いよく開けたドアの先で、じいちゃんはいつものように笑っていた。
予想に反して元気な様子で、拍子抜けしてしまった。
「 何なん? じいちゃん。心配して飛んできたのに、全然大丈夫そうやん」
「おう、すまんな。はよ帰れ。明日もあるやろ。頑張らやんたい」
また来るわ、と安心して僕は帰った。 いつものように普通に喋って、いつものように元気だったじいちゃん。そうだよな、じいちゃんが死ぬわけねえもんな。
家に帰り、明日の準備を終えて、僕が眠りについた後。じいちゃんは息を引き取った。僕以外の家族と親戚に看取られながら、安らかに最期を迎えた。
家族や親戚が、受験が終わるまで光にじいちゃんのことは黙っておこうと言う側と、伝えてあげようと言う側に分かれたみたいで。最終的に親戚の中でも一番熱い新おじちゃんが真夜中に僕に電話で教えてくれた。
「一番あいつがじいちゃんのこと好きやったんやから伝えてあげんといかんやろ。」
黙っとくわけにはいかん。止める周りの皆にそう言って振り切り、独断で教えてくれた。
「受験、絶対頑張らやんぞ」
間寛平さんとマラソンをこよなく愛する新おじちゃん。 いつも笑顔で、寛平さんと一緒に地元のマラソン大会で走ったことを嬉しそうに話してくれた。僕もじいちゃんも新おじちゃんが大好きだったし、新おじちゃんも僕とじいちゃんのことが大好きだった。
教えてくれてあんがとね、新おじちゃん。 すげえ悲しかったけど、すげえ嬉しかったよ。
朝方、病院から家に帰ってきた寝てるじいちゃんの顔を見て、受験会場に向かった。
そんじゃ行ってくるわ、と握手した左腕にはじいちゃんから貰った銀色の腕時計をつけた。昔、じいちゃんに貰ったものの、古くさくて普段はつけれんよっつって机の引き出しにしまったままだった。なんだよ、形見になっちまったよ、じいちゃん。
僕はある決心を持って受験に臨んでいた。
受験は1校しか受けない。受かったら地元福岡の大学に行く。落ちたら東京の吉本の養成所に行く。
本当はすぐにでも東京行って芸人になりたかったけど、1人で行く勇気も、覚悟も無く。自分なりのけじめとしてこの塩梅に落ち着いた。
だからと言って、わざと落ちるのは絶対に違う。あんなに学校行きたくても行けんかったじいちゃんに、これで落ちたら顔向けできんよな。泣くもんかと、歯を食いしばって受験した。
できることは全部やったし、これで受かったら僕は大学に行き、落ちたら東京でNSCに行く。 それだけだ。それだけなんだけど、もうそんなのどうでもよかった。ただ合格の結果だけが欲しかった。
受験を終えたその足で、お通夜に向かった。村中から沢山の人が集まった。8人兄弟の長男だから、親戚の数も相当なもんだ。僕はなんだかまだ実感が湧かなくて、ずっとフワフワしていた。
一旦家に帰り、じいちゃんへの手紙をしたためた。誰かに手紙を送るのは人生で初めてだったと思う。ラブレターのように。精一杯、思いの丈を書きなぐった。
次の日の葬式。着々と式は進む。
お経を詠むお坊さんも、僕の通ってた保育園の園長先生だ。小さな村だ。周りを見渡せば、顔馴染みの知ってるおっちゃんおばちゃんたちばかりで、泣いてるみんなを見ながら、懐かしいなと思いながら、でも泣いてる顔は懐かしくはねえなと思いながら、写真の中で笑うじいちゃんをずっと見ていた。
そして棺桶が運び出される。
そこで重大なことに気づいた。
しまった。手紙を棺桶に入れ忘れた。
どうしよう。せっかく書いたのに。やばい。完全にタイミングを逃した。やばいやばい。どうする、どうする、いやここで入れないともうタイミングが、、
「ちょっと待った!!」
親戚のおっちゃんたちが運ぶ中、それを止めて、するっと棺桶の中に手紙を入れた。
危なかった。中々のタイミングの悪さだったが、なんとか間に合った。危ない危ない、、
ホッとしたのも束の間、するりと棺桶の中に伸びる手。ばあちゃんだ。なんと棺桶の中から僕の手紙を取り出した。
「あんた、、じいちゃんに手紙ば書いてくれたんね。。ありがとう。今ここで読んでくれんね。」
最悪だ。
周りの親戚一同が声を出して盛り上がる。
「光〜!なんやお前そげんかと用意しとったんか!」
「そりゃ読んでもらお。いい孫やな、うぅー!!」
「読ーめ!読ーめ!!」
葬儀場に鳴り響く大歓声。
実は僕は小学2年生の時、ひいばあちゃんの葬式の時もひ孫代表で手紙を読み、親戚たちを全米ぐらい泣かせたことがあるのだ。
それを思い出した新おっちゃんが泣きながら「あん時も光読んでくれたもんなー!!!」ともうすでにわんわん泣いていた。
いや、新おっちゃん感受性豊かすぎるやろ。そして俺のこと好きすぎるやろ。
読めコールが鳴り響き、ばあちゃの温かい眼差しが僕に突き刺さる。もう断ることは出来ない。僕の身体はブルブルと震えた。緊張からではない。別の理由があったのだ。
手紙の内容は、じいちゃんへの感謝の言葉。
「本当にありがとう。じいちゃんが大好きだ。俺はじいちゃんみたいになりたい。そしてこないだは言えなかったけど、夢がある。芸人になりたいんだ。東京に行こうと思ってる。」
ここまではいい。最悪ここまでは読んでいい。
問題はこの後だ。
「そして、俺にはクラスに好きな娘がいる。○○さんって言うんやけど。どうしても付き合いたい。絶対に初体験はその娘に捧げたい。頼む、じいちゃん。俺に力を貸してくれ。」
狂気。
狂ってる以外の言葉が見当たらない。愛は全速力で角度を変え、地獄に突き進む。悟空ばりに煽りながら作り上げた、史上最悪の狂気玉。
そのあとも、彼女の好きなところを延々と書きなぐる、じいちゃんへのラブレターじゃなく、もはや好きな娘へのラブレターになっていた。
いざこの時になって、この手紙のヤバさに気づいた。書いてる夜中は何もそんなこと気づかなかった。ただただ、自分の思いの全てをぶつけようと手紙に書いたつもりだった。気づけばじいちゃんへの感謝の手紙じゃなく、童貞野郎のこじらせ性欲懇願書だった。
終わりだ。全身はガタガタ震えている。手に持つ手紙は残像拳を繰り返し、文字が一向に目に入ってこない。
一向に読みはじめない孫に、救いの手を差し伸べたのは目の前のばあちゃんだ。
「もうよかよ。光も高校生やし、恥ずかしかろう」
天使がいた。いや聖母だ。我がグランドマザーテレサ。僕はあなたに永遠の忠誠を誓う。
「代わりに私が読むたい。」
地獄の第二ラウンド。希望は一瞬にして潰え、地獄の業火が加速して襲ってきた。
ばあちゃんに手紙を取られ、あまりの出来事に何も反抗が出来ない。
終わる。終わる。終わる終わる終わる。
「じいちゃんへ。今まで本当に頑張ったね、、」
ばあちゃんが読む声がどんどんと遠くにいく。それに合わせて意識がどんどん遠のいていく。
今までありがとうございました。恥の多い生涯を送ってきました。
俺も一緒についていっていいかい、じいちゃん。
手紙が中盤に差し掛かり、いよいよとどめだと思ったその瞬間。
「〜みたいになりたい。。うぅー、、ありがとうね、光〜!!」
手紙を読むのをやめ、僕に倒れ込み抱きつくばあちゃん。ピークの頂上で孫を抱きしめるという最高の演出をかました、ばあちゃん。葬儀場の人々の感動は最高潮に達した。最高で最愛のハッピーエンドだった。
僕も安堵の涙を流し、ばあちゃんと抱きあった。
あの時は本当に終わったと思った。まじでありがとうばあちゃん、そんでじいちゃん。
あれから10年。僕は大学に受かり、福岡大学へと進学した。このまま芸人にならないのかと思ったけど、そこで出会った気の合う友達と、なんだかんだ今じゃこうして東京で芸人になってる。
じいちゃんが入院する前に、相談行った時。また来るわと言って何一つ話せず帰ろうとした時。じいちゃんは
「遠回りしてもいいから。ゆっくり行け」
そう言ってくれていた。まるで僕が芸人になりたいのを知ってたかのように。全部お見通しだったんだな。
僕は今、ラジオの中の学校「SCHOOL OF LOCK!」の校長を務めている。毎日、毎日。全国の沢山の生徒から手紙が来る。書き込みがある。相談が来る。電話で話を聞く。めちゃくちゃ嬉しかった話や、どうしようもなく悲しかった話、好きなクラスのあの娘の話、まるであの時の僕がじいちゃんに相談したみたいに。僕は全く上手く出来んけど、じいちゃんみたいには全く上手く言えんけど、なんとか生徒のみんなの気持ちに寄り添えたらなと思ってる。
あん時はごめんよ、じいちゃん。そんでありがとう。遠回りして遠回りして、やっとなんとか、胸張って芸人やってるって言える気がするよ。
ばあちゃんが最近ちょっとボケちゃったみたいでさ、心配なんだけど、こないだ電話したら、
「ラジオ聴いとるよ。感動した!感動した!感動した!!!じいちゃんにも聴かせよるよ。感動した!!!!!!」
何時ぞやの小泉首相ばりに興奮しながら言ってくれた。なんだか笑っちゃって、少し安心したよ。
「あんたはいっちょん声変わらんね。すぐわかるたい。光が頑張りよる時は、お父さんお母さんたちも一生懸命頑張りよるよ。」
毎回電話する時、これ言うんだよな。あんただけやないけん、心配すんなよって。家族のことをいっつも話すんだよ。いい女だな。じいちゃんが惚れたのがわかるよ。
今夜も出来るだけ大きな声で話す。出来るだけ大きな声で叫ぶ。
届くように。寄り添えるように。
あん時のラブレターの続きだと思ってくれよ。
読んでいただきありがとうございます。読んで少しでもサポートしていただける気持ちになったら幸いです。サポートは全部、お笑いに注ぎ込みます。いつもありがとうございます。言葉、全部、力になります。心臓が燃えています。今夜も走れそうです。