数学って、本来、何のための勉強なのか?

こんにちは😀

今回は「なぜ数学を勉強する必要があるのか?」を持論を交えて深掘りしたいと思います。

かつて東京大学がこんな問題を作ったそうです。

「円周率が3.05よりも大きいことを証明せよ」と。

私は東大どころか、超文系人間ですので、これを答えられるわけがありません。

でも、東大が高校生に対して何かしらのメッセージを添えて作ったようにも思えます。

それは、「難しい問題を作って苦しむ姿がみたい」とか「これが解ける人間しか入学させない」とか。

しかし、私はこうも思います。

未知なる問題に対してどうやって正しく問題を解決するか?」と。

おそらく、この問題が世に広まる2003年以前までは、高校生が普段考えたことがない問題だと思います。

知っているのなら楽に答えられるでしょう。

でも知らない受験生の方が多いから、この問題を出して、「正しく物事を考える力」を受験生から引き出そうとしたと思います。

数学というのは、本来、こうあるべきだと思います。

大学生になって少しずつ「社会」を意識していく過程の中で、未知なる問題と遭遇した場合にどうやって対処をするのか、を大学教育の根幹である「問題解決型教育」で人材を育成していったのですから。

「問題解決型教育」についての問題点は以前にしましたので、ここでは流しますが、「未知」となる問題に対する解決法を問う問題ではとても良い例だなと私は思います。

しかし、大学入試というものは、本来、知識と解決能力のある人間だけを入学させ、エリートに育てあげるものだったのが、もはや「知識」だけを問うような問題になりつつあるのではないかとも思います。

「ネタがない」と言われればそれまでですが、いつかは対策の対策という「メタ対策」が学校や塾や予備校で行われるようになり、それがもはや、真に正しく「考える力」を持つ人間の育成を撲滅しようとも見られます。

つまり、「知っている」から「解ける!」という、「進研ゼミで出たところだ!」という、本来の数学の学習の面白さである「考えること」から、「知識の問題」に塗り替えてしまい、「解けるから面白い」のあり方まで変えてしまったように思えます。

私は今年の2〜4月の2ヶ月ほど数1Aをやっていました。そこで数学の面白さについて考えてみたところ、やはり「知っているから解ける」よりも、「これをこう考えれば理屈が通るよね?」と考えて解くほうが圧倒的に面白かったです。

「知っているから解ける。だから面白い。」はただの自慰行為に過ぎないと思いました。

知らない問題に対して、どうやってクリアするか?それは攻略本やネット検索をしないでゲームをクリアするのと同じような面白さだと思います。

私は以前に、ドラゴンクエスト6というゲームを縛りプレイをして攻略してみました。解決できない問題が出てくるたびに、先人たちの知恵(インターネット)を使わずに、「どうやれば攻略できるか?」を考えて、行動に移しました。結果は見事クリアできました。

その時の喜びは、きっと攻略本などの先人たちの知恵を使って攻略したものというよりも、むしろ真に「自分1人で考えてクリアした」に近いものでした。

まあゲームとは違って、数学は「人生がかかっている」わけですから、安全な道筋でクリアしたいと思いますが、それが返って、メタ対策というもので攻略を簡単なものにしてしまっている気がします。

攻略本を見てプレイするゲームに何の面白さがあるのでしょうか?

攻略法を知って解く数学に何の面白さがあるのでしょうか?

どうせなら「前人未到」のようなものに挑戦してたどり着いた境地を楽しんだ方が面白いではありませんか?

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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