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今夜の映画

イリュージョニスト〜廃れゆくものの哀愁、そして美しさ〜


イリュージョニスト(2010)
原題:L'Illusionniste
老齢の奇術師タチシェフは、ロンドンの催しで出会った男からマジックの出演を依頼される。向かった場所は小さな漁村。村の居酒屋に泊まることになったタチシェフは、そこで働く若い娘に新しい靴を買ってあげるが・・・

予告

監督:シルヴァン・ショメ
時間: 79分
ジャンル: ドラマ/アニメーション

フランスのアニメーション映画。舞台は1959年のイギリス。歳老いたマジシャンと、旅先で出会ったイギリスの田舎少女との生活を中心に、彼らを取り巻く舞台演者たちの暮らしや当時の風景を、哀愁漂う演出で描き出している作品。

あらすじ
マジシャンである主人公タチシェフが、イギリスで旅稼ぎをする途中、彼を魔法使いと信じる少女と出会い、「奇術師」としての人生に幕を打つ物語

エンターテイメントとお金

マジックを観たことがあるだろうか。私は昔新宿のとある居酒屋で友人と飲んでいた際、出張マジシャンに声をかけられ、そのままその席のテーブルで手品を披露してもらったことがある。

最近ではYoutubeやtiktokなどの動画アプリなどでちょくちょく見かけるのだが、リアルで本物の手品を観たのは実はその一回だけだったりする。恥ずかしい話、その時一番気になったのは、手品のタネというよりも、手品でどれくらい稼げるのか?ということだった。今でこそ動画などでお金に繋げやすくなっているのかもしれないが、ネットが普及してない頃は、それだけで食っていくことはよほど難しかったのではないだろうか。

話が脱線したが、今回視聴した「イリュージョニスト」という作品も、個人的にはずっと「お金」のことが頭から離れない作品だった。本来はそういう観点で観る作品ではないとは思うが、「エンターテイメント」と「お金」という切り口でも議論できる作品なのではないかと思う。

ストーリー

作中では明示されていないが、かつてマジシャンという職業は、街の劇場の大舞台で人々に熱狂と歓声を与えていたのだろうと推測できる。ところが、時代の変遷とともにその姿はいつしかなくなり、都会の劇場でも人は疎ら。かつてマジシャンが務めていた役割は、今やロック歌手(劇中のミュージシャンはビートルズを想起させる)に取って代わり、手品師という存在は人々の心の中から消えつつある、というのが、本作品の背景、1959年という時代だったのだろう。

物語は主人公タチシェフが手品師としてパリの劇場で手品を披露する場面から始まる。劇場に観客は少なく、手品には驚く様子も見せない。ショーの後、契約を打ち切られてしまったのか、タチシェフはその後、パリからロンドンに出稼ぎの旅に出る。ロンドンの劇場は人気歌手の音楽に湧き立つ観客で満席状態ではあったが、タチシェフのショーが始まると観客はおばぁさんと子供の二人だけになっていた。

翌日、タチシェフはとある屋外のイベントで、伝統服衣装に身を包んだ男から、地方での公演を依頼され、後日男と共にイギリスの片田舎に出向くことになる。漁村の酒場では、人々はまだタチシェフの手品に感動を覚えてくれているようで、ショーは喝采の内に終了する。宿泊場所は、酒場の二階の空き部屋だ。タチシェフは、酒場で働く一人の少女と遭遇する。部屋を掃除し、案内をしてくれる少女に対して、彼は、村で見つけた新品の赤い靴を買い、得意の手品で魔法のように取り出してプレゼントする。少女は彼のことを「魔法使い」のように信じ込み、なんと、タチシェフの出稼ぎ旅に付いて来てしまうのであった。困った様子のタチシェフではあったが、彼らは次の出稼ぎ地、エディンバラの街の一室で共に生活を始める。

タチシェフたちが寝泊まりするアパートメントには、彼と同じような手品師たちが幾人か一緒に住み込んでいて、平和で愉快な一面があるものの、彼らは皆金銭的に困窮し、一部は明日の生活もままならないような状況が垣間見えるのであった。

一方、初めて街に出てきた様子の少女は、ステンドグラスに飾られたきらびやかな衣装や、街ゆく女性たちのファッションを見て、新しい靴や服を欲しがるのであった。タチシェフは少女のためになんとか金銭をやりくりしようと、手品以外の仕事にも手を出すが中々思うようにはいかない。そうした中、舞い込んできた話が、手品を使って商品を宣伝する、百貨店の売り子としての仕事だった。

街ゆく人々の視線を一挙に集めるガラス張りのショーケースの中で、タチシェフはいかにも宣伝風なピンク色の服を纏い、手品を使って商品を宣伝する。稼ぎも悪くはなさそうで、まさに天職といえそうな仕事ではあったが、タチシェフは翌日、この仕事を辞退する。仕事をやめたタチシェフは、「魔法使いはいない」という手紙だけを残し、少女の前からそっと姿を消すのであった。

廃れ行くものの哀愁と美しさ

手品という営み、手品師という職業が、世間から直接的に必要とされなくなり、ビジネスや身銭を稼ぐための「道具」としてしか続けられないということを、タチシェフは自ずと理解したのではないだろうか。時代の変遷の中で、彼が下した決断は、「道具」としての手品を無理に続けていくことではなく、ある一種の矜恃を持って、静かに去りゆくことであったのだろう。ひとつの時代の終わりを象徴するような彼の姿に、観客はより一層、哀愁と同情を感じるのだと思う。

主人公タチシェフを中心に、劇中登場するさまざまな風景と人物たち。彼らの生活や生き様が、1959年という時代に象徴され、去り逝く時代の美しさ、儚さを、繊細なタッチで見事に表現した素晴らしい作品だと思う。

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