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緊張感がほどけない。

同じ劇団のメンバーの芝居を見るのはとても苦手。

どうしても気軽にみれない。

私も向こう側の経験があるから。

そうなると、途端に自分の中で緊張感が出てきて、
顔の表情筋が強ばってしまう。
故にものすごい無表情で見てしまう。

一般のお客さんのフリをして見ることが出来ない。

自分で言いたくは無いけれど、「荒」探しをしてしまっている自分がいる。

一緒にやっていく仲間だからこそ生半可な褒め言葉で終わらせたくない。

こんなこと言ったら自分の印象が悪いか、と一瞬頭を過ぎるのだが、
いつも口に出す時には割と辛口なことを無表情で言ってしまう。

そもそも、言って「しまう」という自分に疑問がある。

なぜ、悪い意見は言ってはいけない みたいな気持ちがあるのだろうか。

あの子が傷つくから?
空気を読まない発言だったかな と思ったから?

私は私がそっち側だったら、受け取るのはきついけど、きつい言葉がほしい。

主観の中では出てこない意見なはずだから。

主観の自分は自分に甘いのを知っているから、
外から見えている自分を知りたい欲が強い。

何年も続けている作品だからこそ、
変わり続けていきたい。

安定したくない。

数mmでもいいから考え続けられる材料がほしい。

とはいえ、理論的なタイプでは無い。
だからこそ、直感が働き続けられる材料が常に欲しい。

たぶんあの子には、
「なんで頑張ったのに、良く評価してくれないんだろう。私のことが嫌いなんだ。」
とでも思われているのかもしれない。たぶんそう。

頑張ったからと評価されるのは学生までだ。と個人的には心に据えている。

頑張って、頑張って、理解して、表に出てくる表現に表れて初めて褒めてもらえることに喜びを私は感じる。

枕詞のような、上辺の褒めは対して欲しくない。

私は、好きな事を仕事にしてしまった以上、自分の芝居も、ほかの芝居も適当なことを言いたくない。

団内の芝居の感想を言う時は気持ちが乗らない言葉は口に出したくない。
そんな頑固さがある。


だからあの日はあんな感想しかでなかった。
その日はあの子が泣くもんだから、一日中、
あの言い方でよかったのか、もっと空気を読めば良かったのかな…とモヤモヤした。


でも謝る必要も無いし、間違ってたかな?と誰かに問う必要も無いんだと思う。

別の言い方もあったかもと思えるのは必ず後になってからだし、やっぱりどうしようもない。

別にどう思われてもいい。

今後私自身の芝居に対してどんなブーメランが返ってこようと構わない。

それは私の芝居の血となり肉となると信じている。

私は私の芝居心を信じている。

1日経った今日もまたグルグル思考が止まらないので書き出してみることにした。

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